より良い未来へ 負の財産から学ぶ人々の暮らし

昭和館(東京・九段下)

retroism〜article53〜

 人は過ちを犯す。最たるものは、我々人類が起こした戦争だ。大切なのは、自らの愚行を反省し、より良い未来の糧にすること。それを教えてくれる場所が、東京・九段下にある「昭和館」である。

戦争中における女性や子どもたちの服装と装備。防空ずきんは必需品だった

 学芸部の吉葉愛さんが説明する。「私どもが扱うのは戦中・戦後ですが、実際にフォーカスしているのは、国民の『暮らし』です。1935(昭和10)年から65(同40)年ごろにかけて、女性、子ども、お年寄りなどがどう過ごしていたか、同時にその時代にあった出来事を知ることができます」

昭和14年ごろ掲げられた標語。翌年には、「贅沢は敵だ!」と表現が強められた

 昭和館の最大の特徴は、当時存在していた現物を丁寧に収集し、証言などを元に作られたリアルなレプリカとともに展示しながら、誰にでもわかりやすく、戦中戦後の人々の営みを提示するところにある。

 例えば、「家族の別れ」と題されたコーナーには、臨時召集令状(赤紙)によって戦地へ向かう、大切な息子や夫の無事を願うお守り「千人針」の実物が並ぶ。「千里往(い)って千里還(かえ)る」との言い伝えを信じて編まれた、虎の図柄の千人針が、送り出す妻たちの思いを明瞭に映し出す。さらに、戦中の家庭における妻たちの仕事の道具や食卓の様子が克明に示される。日中戦争から太平洋戦争へと移行していく中で、兵士の武器や衣服などのために鉄や布などが集められ、不足した生活必需品に使われた「代用品」も数多い。ランドセルは竹製、アイロンや暖房器具である湯たんぽは陶器で作られていた。

戦中、食べられていた弁当が再現されている。弁当箱はアルミ製だった

 戦中の子供たちは、軍国主義的な内容の教科書で勉強し、男子は柔剣道や銃剣術など、女子は長刀や看護の訓練を受けた。遊び道具は、ままごと遊びの道具から「兵隊さんごっこ」に使われたラッパ、カブト、鉄砲のおもちゃなどが写真とともに展示されている。

 学童疎開の資料もきめ細かい。「小学校3年生から6年生までの子どもたちの中には疎開先で厳しい経験をされた方がたくさんいらっしゃいました。食事に関しても、いろいろな話が伝わっています。こんなにたくさん食べものはなかったと言う人もいれば、疎開先によっては、おなかいっぱい食べられたと言う方もいらっしゃいます」。場所や時期のほんの少しのズレによって、戦争の落とした影に濃淡があったのだ。

戦後の繁栄と発展が、雑誌の表紙を通して垣間見ることができる

 空襲が激しくなった1944(昭和19)年ごろの資料は生々しい。「女性が履いていたモンペや防空ずきん、空襲警報・警戒警報の看板は表裏になっていて、空襲か警戒かによってひっくり返して注意を促しました。危険度によってサイレンの鳴らし方も違っていました」

 貴重な体験となるのは、再現された防空壕(ごう)に入ることができること。実際には、玄関先や家の中、家から数メートル離れた場所に掘られていた。防空壕を掘るために、隣組や警防団の人員が集められた。中に入ると空襲警報が鳴り響き、爆弾が落ち破裂する音と振動に、大人も恐怖を感じる。戦争の恐ろしさがリアルに伝わってくるのだ。

昭和14年公布された「価格等統制令」下における公定価格が表示されたクレヨン

 写真や映像の資料もふんだんに集められた。「珍しい資料の一つが、警視庁所属のカメラマンだった石川光陽氏が撮った空襲の被害状況を写した写真です」。焼き尽くされ、破壊し尽くされた日本の姿は、戦争の酷さを如実に物語っている。

 昭和館のもう一つの柱が、戦後の悲惨さを伝える展示である。「終戦を迎えても、苦しい生活が大きく変わってすぐに良くなったわけではありませんでした」。当時の様子を紹介する実物資料がレプリカ、写真や映像とともに紹介され、必死に生き抜いた人たちの暮らしぶりを目の当たりにする。まず眼を見張るのは、アメリカの公文書館などを通して調査・収集した46(昭和21)年当時のカラー写真や映像だ。

「三種の神器」と呼ばれた冷蔵庫、テレビ、洗濯機は、戦後日本が繁栄へと歩み始めた象徴だ

「終戦から1年経っても、広範囲にわたって焼け野原だったことがわかります。バラックの新宿駅や闇市の様子も鮮明に残っています。環境は、戦中よりも戦後の方がむしろ過酷でした。家も多くがバラックでした」。衛生状態も悪く、発生したノミやシラミを殺す農薬のDDTが噴霧された。人体に直接浴びせるという極めて乱暴な消毒方法だった。

 戦争で亡くなった夫の遺族の生活もやはり厳しかった。戦没者の妻たちの苦労は筆舌に尽しがたいものだった。「幼い子どもを抱えて、彼女たちの就ける職業は非常に限られていました。女性の地位がまだまだ低い時代、お金を得る手段は裁縫などの内職が主でした」。足踏み式のミシンの前に座る粗末な着物を着た人形が、苦しい時をありありと浮かび上がらせる。「一方で、少しでも給料の高い力仕事に従事する女性もいました」。本当に女性は強いと、頭が下がる思いだ。

戦場へ向かう兵士に向けた、大きな日の丸に書かれた寄せ書き。著名人の名前も見える

 さらに、戦後行われた青空教室の模型や写真、墨塗りされたものとされていない教科書を並べて見せるなど、戦後の混乱や困難を浮き彫りにする展示も同館の特徴だ。全体を通して、現物の凄みに説得力がある昭和館。「この道具」は、どこの誰が、いつどんな気持ちで使っていた、といった細部を見せながら、全体像に迫っていく手法は、見る者を引き込んでいく。人間の愚行を深く考えさせられるのである。

昭和10年ごろの家庭の道具。家事のほとんどは手作業で行われていた

 明るい未来に至るまでには、暗くて長い期間があり、その経験があったからこそ今の生活がある。そんなことを、感謝の気持ちとともに、改めて考えさせ実感せざるを得ない。全ての日本人が行くべき資料館と断言したい。

しょうわかん
東京都千代田区九段南1-6-1 
📞03-3222-2577
開館時間:午前10時〜午後5時半(入館は5時まで)
休館日:月曜(祝日の場合は開館、翌日休館)
文・今村博幸 撮影・柳田隆司

 

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