より良い未来へ 負の財産から学ぶ人々の暮らし

 戦中の子供たちは、軍国主義的な内容の教科書で勉強し、男子は柔剣道や銃剣術など、女子は長刀や看護の訓練を受けた。遊び道具は、ままごと遊びの道具から「兵隊さんごっこ」に使われたラッパ、カブト、鉄砲のおもちゃなどが写真とともに展示されている。

 学童疎開の資料もきめ細かい。「小学校3年生から6年生までの子どもたちの中には疎開先で厳しい経験をされた方がたくさんいらっしゃいました。食事に関しても、いろいろな話が伝わっています。こんなにたくさん食べものはなかったと言う人もいれば、疎開先によっては、おなかいっぱい食べられたと言う方もいらっしゃいます」。場所や時期のほんの少しのズレによって、戦争の落とした影に濃淡があったのだ。

戦後の繁栄と発展が、雑誌の表紙を通して垣間見ることができる

 空襲が激しくなった1944(昭和19)年ごろの資料は生々しい。「女性が履いていたモンペや防空ずきん、空襲警報・警戒警報の看板は表裏になっていて、空襲か警戒かによってひっくり返して注意を促しました。危険度によってサイレンの鳴らし方も違っていました」

 貴重な体験となるのは、再現された防空壕(ごう)に入ることができること。実際には、玄関先や家の中、家から数メートル離れた場所に掘られていた。防空壕を掘るために、隣組や警防団の人員が集められた。中に入ると空襲警報が鳴り響き、爆弾が落ち破裂する音と振動に、大人も恐怖を感じる。戦争の恐ろしさがリアルに伝わってくるのだ。

昭和14年公布された「価格等統制令」下における公定価格が表示されたクレヨン

 写真や映像の資料もふんだんに集められた。「珍しい資料の一つが、警視庁所属のカメラマンだった石川光陽氏が撮った空襲の被害状況を写した写真です」。焼き尽くされ、破壊し尽くされた日本の姿は、戦争の酷さを如実に物語っている。

 昭和館のもう一つの柱が、戦後の悲惨さを伝える展示である。「終戦を迎えても、苦しい生活が大きく変わってすぐに良くなったわけではありませんでした」。当時の様子を紹介する実物資料がレプリカ、写真や映像とともに紹介され、必死に生き抜いた人たちの暮らしぶりを目の当たりにする。まず眼を見張るのは、アメリカの公文書館などを通して調査・収集した46(昭和21)年当時のカラー写真や映像だ。

「三種の神器」と呼ばれた冷蔵庫、テレビ、洗濯機は、戦後日本が繁栄へと歩み始めた象徴だ

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