オレンジ色の列車が運ぶ「淡い恋と旅の思い出」

ロマンスカーミュージアム(神奈川・海老名)

retroism〜article106〜

 日本人が尊ぶものの一つが「情」である。あらゆる場面で使われ、さまざまな意味をもつこの言葉は奥が深い。辞書によれば、「他人に対する思いやりの気持ち、情け、真心、誠意、愛情、趣、味わい」などなど意味は多彩だ。中でも、あまねく人々が好む情がある。「旅情」だ。字面は美しく響きも奇麗なこの言葉がよく似合う列車、それが「ロマンスカー」である。小田急電鉄の電車基地のある神奈川県・海老名に開業した「ロマンスカーミュージアム」には、歴代車両が一堂に会する。学芸員の神林ゆうこさんが、にこやかに説明を始めた。「安全・快適なお客様の輸送や、にぎわいのある街づくりを進めてきた小田急電鉄の歴史を伝えたい、というのが始まりでした。加えて、大切なブランドでありアイコンでもあるロマンスカーの歴代車両が勢ぞろいする姿を見ていただきたいということも、長年の悲願でした」

左からSE(3000形)、NSE(3100形)、LSE(7000形)。本物だけが持つすごみに圧倒される。そして昔の淡い恋を思い出したりもする

 実は、ロマンスカーという言葉は、小田急電鉄以外の車両にも使われていた。小田急電鉄の車両で用いられるようになったのは1949(昭和24)年頃。新宿と小田原をノンストップで結ぶ特急専用車両で、車体は箱型だった。映画館などで流行した「ロマンスシート」に似た座席であったことが由来であると言われている。やがて57(同32)年、いわゆる「ザ・ロマンスカー」と呼んで差し支えないであろうオレンジ(正確にはバーミリオンオレンジ)を基調にした色遣いの流線型車両が登場する。顔の丸いSE(3000形)という車両だ。特急列車として走り始め、人々を驚かせた形状は、空気抵抗を少なくして速く快適な走行を目指して、流線型を採用したものだった。これは新幹線開業よりも先の話だ。「一節によれば、新幹線開発のモデルにもなったとも言われています。ファンの間では、新幹線のご先祖様という人もいらっしゃいますよ」

かつて電車の中の光はタングステンが多かった。淡くて優しくてホッとする明かりだ

 カラーデザインを担当したのは、洋画家であり、ぺんてるくれよんのパッケージを生み出した宮永岳彦氏だ。「斬新なカラーリングや流線形の車体など、時代の常識にとらわれず、新しいものを追求する小田急電鉄の精神が、ロマンスカーの人気につながったのかもしれません」と神林さんは説明する。国鉄と共同で運転試験が行われ、当時、狭軌鉄道世界最高速度145キロという記録をたたき出す。「世界一速い列車として一世を風靡(ふうび)しました。これを最初のロマンスカーと定義するファンも多いんですよ」

まぶしさを軽減する布製のカーテンを閉めるか開けるかは、景色が見たい気持ちとのせめぎあいでもあった。フック式の上着掛けが描く曲線もかつて存在していた美しさだ

 小田急電鉄はさらに画期的な試みを行う。運転席を2階に上げて、電車の最前列まで客を乗せるNSE(3100形)を63年(同38)年に生み出したのである。「展望席は、ロマンスカーの代名詞にもなりました。ロマンスカーといえば展望席。乗りたいというお客様が大勢いらっしゃって、とても人気がありました」。その後、80(同55)年にはシャープな車体と乗り心地の向上、眺望の良さを重視したLSE(7000形)を、さらには窓を大きくしハイデッカー構造を採用して眺望性を進化させたHiSE(10000形)が登場。検車庫をイメージしてデザインされたロマンスカーギャラリーに並ぶのは、今まで造られた10種類のうちの、現役を引退した5種のロマンスカーで、車両はもちろん当時のまま。それらの姿は文句なく壮観だ。強烈に旅情をかき立てるこれらの車両は、子供から大人まで多くの旅人の心をつかんで離さなかった。

丸みを帯びた車体故か、ドアの開き方が少
し斜めに見える。飛行機の搭乗口のようだ

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