
オールドミニ復活の立役者 世界に一つだけの車を
「僕にとって興味があったのは、当時のイギリスではなくパリでした」 1970(昭和45)年、ビジネスチャンスを求めて、「ミニマルヤマ」の代表取締役社長・丸山和夫さんはヨーロッパへ旅立った。目的地はパリだ。そこで丸山さんの目に飛び込んできたのは、美しい街並みを全長およそ3㍍の小さな車がイキイキと走る姿だった。「駐車しているだけでおしゃれだったのを覚えています」
visiting old, learn new
リーバイス501XX、ハコスカGT-R、イームズチェア。名前を聞いただけで気分が高揚してしまうような憧れの名品からちょっと頑張れば手が届きそうな逸品まで、レアなアイテムが買える専門店を中心に紹介する。ようこそヴィンテージの世界へ。
「僕にとって興味があったのは、当時のイギリスではなくパリでした」 1970(昭和45)年、ビジネスチャンスを求めて、「ミニマルヤマ」の代表取締役社長・丸山和夫さんはヨーロッパへ旅立った。目的地はパリだ。そこで丸山さんの目に飛び込んできたのは、美しい街並みを全長およそ3㍍の小さな車がイキイキと走る姿だった。「駐車しているだけでおしゃれだったのを覚えています」
日本人の我々から見れば、アメリカで作られたプロダクトや食べ物に至るまで、何でもかんでもデカく感じられる。 一番わかりやすいのが車だ。一昔前の映画を見ると巨大なサルーンを小柄な婦人が運転しているシーンを度々目にする。食べ物もしかり。小さなハンバーガーやステーキも、そこには登場しないのだ。音楽を再生する機械としては、ジュークボックスが代表格だろう。横浜・本牧にある「FLAT4」は、ヴィンテージ・フォルクスワーゲンの専門店だが、年代物のジュークボックスをメインに新品も扱う個性的な店である。
セマフォー(アポロ式方向指示器)が「ガチャコンッ」という音と共に飛び出す様は、車が「機械」であることを、改めて感じさせる。搭載していたのは、古いフォルクスワーゲン・タイプ1(以下VW)である。1938(昭和13)年にドイツで生産が開始された小型大衆車で、愛称はドイツ国内では「ケーファー」、英語圏では「ビートル」と呼ばれた。日本ではカブトムシだ。愛称にしても、あまりにもひねりのない直訳が、今となってはほほ笑ましい。
いつの時代も、花は愛され続ける。時に心を和ませ、躍らせてくれるのだ。この世からなくなることなど想像できない。世の中が荒廃したとしても救いになってくれるはずだ。それほど我々にとって、なくてはならない存在と言っても過言ではないだろう。
「横濱コレクターズモール」の店主・針生(はりう)龍一郎さんにとってアメリカは子供の頃から身近な存在だった。横浜に生まれた。本牧には、米軍のベースと日本人の住む街を区切る鉄のフェンスがあった頃だ。
国産車が最も輝いていた時代、それは1960〜70年代ではないだろうか。 日本が世界に誇るスーパーカー、その頂点に君臨するのが2000GTだろう。トヨタとヤマハが技術の粋(すい)を結集して共同開発した。67〜70年にかけて製造され、生産台数はわずか337台。当時の価格は238万円で、現代に置き換えると2000万円に相当するという。
日本人が尊ぶものの一つが「情」である。あらゆる場面で使われ、さまざまな意味をもつこの言葉は奥が深い。辞書によれば、「他人に対する思いやりの気持ち、情け、真心、誠意、愛情、趣、味わい」などなど意味は多彩だ。中でも、あまねく人々が好む情がある。「旅情」だ。字面は美しく響きも奇麗なこの言葉がよく似合う列車、それが「ロマンスカー」である。