時空を超えた作り手の想いとブリキの輝き いまも

ブリキのおもちゃ博物館(横浜・山手)

retroism〜article169〜

  輝きを失わないモノがこの世には存在する。それを目の当たりにできるのが、横浜・山手にある「ブリキのおもちゃ博物館」だ。

博物館の中央には、北原氏が好きだった映画「アメリカン・グラフィティをイメージしたジオラマが目を引く

  玩具コレクターの北原照久氏が、1970年ごろから古い玩具屋さんを訪ね歩いて集めた乗用車、バイク、消防車、ロボットなどのブリキのおもちゃが所狭しと並ぶ。当時のおもちゃ屋において、ブリキのおもちゃは、誰にも見向きもされない売れ残り商品ばかりだった。店の奥に、忘れ去られたようにポツンと置いてあったという。北原氏はそれを懐かしいと思い買い始めたのだ。「旧友にあった気分になったそうです」。店長の古谷嘉章さんが優しい目を見せた。

博物館の中で最も古い時代に作られた赤い洋服を着た猫
 のバイオリン弾き。部屋に飾ったら、空気が一変しそうだ

 収蔵されているブリキのおもちゃは、約3000点にのぼる。90%が日本製で、外国製が並べられた棚が一つだけある。1890年代に作られたものが飾られているが、一番古いのは、「赤い洋服を着た猫のバイオリン弾き」。子供のためというよりも、貴族や金持ち、大人のために作られており、部屋の装飾品だった。

映画「トイ・ストーリー」に出てくる犬「スリンキー」のモデルになった。主人公ウッディ・プライドとは、一番付き合いが長い

 多くはドイツで作られ、日本に入ってきたのは、明治になってからである。そこから作り続けられ1950年代から60年代にピークを迎えるまで、ブリキのおもちゃは、玩具界の王様として君臨していた。一時代を築いたと言っても過言ではない。「そこに、僕らは何か感じてしまう。大正ぐらいまでは、ドイツの模倣品がたくさん作られました」。ブリキに印刷する機械を輸入したり、ドイツで売れてるおもちゃを買ってきて、同じようなものを作っていた。

カラフルな色遣い、造形の美しさ、どれをとってもブリキのおもちゃらしい個体の一つだろう

 やがて技術が磨かれ、日本独自のものができるようになる。「この頃のものは全て手作りなんです。製法は、本来金型に鉄板を押し付けるプレス加工なんですけど、当時はその技術がありませんでした。なので、たたき出しという技法で製造されていました。言ってみれば、工芸品に近かった。おもちゃと言っても高級品でした」と古谷さんは目を輝かせる。

60歳後半〜70代の人にとっては、まさにヒーローだった巨大ロボット鉄人28号。「ビューンと飛んでく鉄人  28号♪」