FLAT4(横浜・本牧)
=後編
retroism〜article138〜
日本人の我々から見れば、アメリカで作られたプロダクトや食べ物に至るまで、何でもかんでもデカく感じられる。
一番わかりやすいのが車だ。一昔前の映画を見ると巨大なサルーンを小柄な婦人が運転しているシーンを度々目にする。食べ物もしかり。小さなハンバーガーやステーキも、そこには登場しないのだ。音楽を再生する機械としては、ジュークボックスが代表格だろう。横浜・本牧にある「FLAT4」は、ヴィンテージ・フォルクスワーゲンの専門店だが、年代物のジュークボックスをメインに新品も扱う個性的な店である。
1940年代に作られたSP盤を鳴らすジュークボックスが行儀よく並ぶ姿は、なんとなくほほえましい
店内にディスプレーされた30台ほどのジュークボックスを前に、その部門を担う長岡健一さんが説明を始めた。「1976年に店がオープンした当初は、ビートルをメインに扱っていましたが、80年代後半に(東京)目黒の五本木に『50’s NETWORK(フィフィティーズネットワーク)』という名前でアメリカン雑貨やジュークボックスなどのショップを展開していた時期があります。現在そのテイストを復活させ、本牧のショップで展示・販売を行っております」。長岡さんが続ける。「もともとドイツ車であるビートルも、アメリカ西海岸のカルチャーと融合して認知された部分があると思うんです。実際にサーフィンを楽しむ若者がボードを積んで海に出かけたり、直線道路でのスピードを競うドラッグレースに参加したりしていました。そんな文化が日本に紹介され人気を呼んだ経緯があります」
当時の若者をとりこにしたアメリカンカルチャーに組み込まれていたのがジュークボックスだった。初期に作られたのは78回転のSP盤が12枚や20枚、24枚まで収納でき、選曲も片面のみの機種が多かったが、戦後には、鉄や鋳造のパーツが増えてくる。50年代になると、ジュークボックスの全盛期を迎える。ガラス張りとメッキを多用してより派手ないでたちになっていく。機能としても、ドーナツ盤(シングル・レコード)が50〜200枚格納できる新型が普及したことで、人気は爆発する。アンプは真空管を使っていたが、60年代に入るとトランジスタを搭載。スピーカーもモノラルからステレオ、ウーファーだけでなくツイーターなど音域を分けて出力するタイプなどさまざまな機種が現れた。実際に使われていたのは何年まえかわからないが、4曲100円、2曲50円は意外と安い?
オーディオ機器がそれほど家庭に普及していない時代、音楽を聴く環境は限られていた。酒場やレストランにあったジュークボックスに、多くのアメリカ人がコインを次々に投入して、音楽の楽しさを享受したに違いない。そういう思いが、個々のジュークボックスから見え隠れするのだ。ジュークボックスは、音楽を聴くメディアとして脚光を浴びることになる。戦争が終わり平和が訪れて、誰もが「これからは楽しくやろうぜ」という前のめりな風潮の一つの象徴的な存在になったのである。
「プレーヤーは処分しちゃったけど、EP盤やLP盤は、大事にとっていらっしゃる年配の方も少なくありません。子供さんたちも独立し、広い家に奥さんと2人になると、家の中のスペースにも余裕ができてきます」。そこで再び湧き上がるのが、レコードをじっくりと聴きたいという欲求だ。「自分が大切に持ち続けていたEP盤を入れて、部屋全体の様相まで変える、存在感たっぷりのジュークボックスで、思い入れのあるレコードを楽しむというわけです」
LPレコードチェンジャーを搭載した最新式。デジタルアンプで駆動するが、動きは昔ながらの「機械的」だ