受け継がれる「吉田イズム」 ニューちぐさ誕生へ

ジャズ喫茶ちぐさ(横浜・野毛)

retroism〜article146〜

 音楽の力は、計り知れない。美しいメロディーに癒やされ、優しい歌詞が琴線に触れる。時には、力強い演奏や魂を揺さぶられるようなボーカルが高揚感をもたらすこともある。しかしそれだけではないことを、横浜・野毛にある「ちぐさ」は証明してくれた。

 日本のみならず、世界にもその名を知られたちぐさは、吉田衛(まもる)さんが1933(昭和8)年に創業した、日本におけるジャズ喫茶の草分け的な存在である。オリジナルの大きなスピーカーから流れる音楽に耳を傾けながら、サイホンで入れたコーヒーを啜(すす)る。ファンにとっては至福の時間が訪れる。

ポートレートの中で笑顔を見せる創業者の吉田衛さん。   
柔和な表情の裏には、音楽に対する熱い思いを秘めていた  

   かかるのはジャズ一色だ。CDは一枚もなくレコードオンリーである。吉田さんの信念でもあった。そんなレコードの良さを若い世代の音楽好きも少なからず感じているのだ。「レコードの傷とか、溝から聞こえてくる音って完璧ではありません。曲が始まる前のプチノイズなどもデジタルにはない味です。大切なのはそこにある空気感。音楽の本質の部分でもあります。デジタルかアナログかは好みですけど、奇麗な音しか出ないデジタル音源は、魅力をあまり感じません」。一般社団法人となった現在、店の運営をまとめるスタッフの新村繭子さんは力を込める。「ちぐさにあるレコードには、50年も60年も積み重ねた『溝の音』が感じられると思うんです。そこにはもちろん空気感も加わっています」。そんなことを求める人たちが、この小さな空間に集うのである。ちぐさの魅力は紆余(うよ)曲折を経てきた歴史にある。94(平成6)年に吉田さんが亡くなった後も、たゆみなく歴史を刻み続けた。「ラス前」の4月9日の開店11時には、常連客が集まった。スピーカー前の特等席ではかけがえのない音を堪能できる

 長い歩みの中で、存続の危機に何度も見舞われた。37(昭和12)年に勃発した日中戦争の頃から、アメリカ文化に対する国の統制が厳しくなる。やり玉に挙げられたひとつがジャズのレコードで、43(同18)年には「強制供出」の命令が出された。皮肉にも、当時、喫茶店組合の代表的立場だった吉田さんが「レコード回収役」になった。敵国の曲が禁止されるならと、日本の歌や民謡をジャズ風にアレンジしたレコードを店で流した。6500枚ほどあった自身のレコードも供出の対象になったが、500枚(一説には600枚)を天井裏に隠して守った。しかし、その努力も結局は無に帰する。

 第二次世界大戦が始まると、吉田さんは戦地に赴いた。帰ってくると、横浜は焼け野原となっていて店もなくなっていたのである。48(同23)年に、店の常連やミュージシャンから千数百枚のレコードを入手し、ちぐさは再開された。

サイホンで淹(い)れたコーヒーの味は、しっかり濃いめ。極上の一杯だ

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