受け継がれる「吉田イズム」 ニューちぐさ誕生へ

 「吉田の死後、妹の孝子さんが跡を継ぎました。その前から、常連さんたちによって、『ちぐさ会』というファンの集まりが自然発生的に生まれていましたが、彼らの後押しが孝子さんの心を動かしたのだと思います」と新村さんは説明する。2代目ちぐさの幕が開く。続けたのは孝子さんだったが、ちぐさ会の応援のたまものでもあった。言い方を変えれば、ちぐさは、常連客はもとより、野毛の街を上げて支え続けてきたとも言えるのである。

 そんな折、2007(平成19)年には、ちぐさがあった地域の再開発計画が持ち上がり、立ち退きを余儀なくされた。「店の備品やオーディオ機器、大切なレコードなどをどうするかという問題に直面します。名乗りを上げてくれたのは、町内会と商店街が合わさったような組織、「野毛地区まちづくり会」でした。街全体で文化資産として守っていこうと言ってくださって、いったん街の所有物になりました。彼らの気持ちは、宝物である吉田が残した貴重な遺産を、自分たちで守っていこうということでした」。レコードなどは、一時期、野毛の坂の上にある中央図書館に預けたこともあった。吉田さんの気持ちも含めて丸ごと地域総出で大切に保管した。店は12(同24)年に再開した。

特注の4ウェイマルチアンプシステムを採用。スピーカーの周波数ごとに違うアンプで音を出す、かなり凝ったシステムだ。フロントパネルには「CHIGUSA」の刻印も

 次の転機は10(同22)年だった。孝子さんも亡くなっていた。ちぐさ会と野毛の街の人たちとが、改めて声を上げることになる。「ただしまっておくのはもったいないと。世界で一台しかないスピーカーなどのオーディオ機材も、『もう一度日の目を見る機会を与えなくてはならない』と誰からともなく言い出したんです」

 まずは、同年10月に「アーカイブ展」と銘打って、イベントを開催した。「ミニちぐさというか、野毛HanaHanaというコミュニティスペースで、このアーカイブ事業を2週間限定でやることにしました。街の協力もあり実行委員会形式で開催しました」

アップライトのピアノは、いい意味で枯れた音がする。椅子のすり減り方が長い歴史を物語る

 たった2週間だったが、結果的には大成功を収める。「お客さんもたくさん来てくれて大盛況でした」。当時を思い出すように、新村さんの目はキラキラと輝いていた。「これだけの力を吉田衛が残したという偉業を確認できた『エポックメーキング的なイベント』でした」。このイベントを境に、ちぐさを取り巻く雰囲気がガラリと変わった。これを2週間で終わらせていいのかと。再オープンさせるべきだという機運がどんどん高まっていく。そんなときに起こったのが東日本大震災だった。

 「(岩手県)陸前高田で、ジャズ喫茶『h.イマジン』オーナーの冨山勝敏さんという方の写真が神奈川新聞に掲載されたんです」。がれきの中で、レコード1枚を携えて立っているという印象的な写真だった。「うちの関係者がそれを見て、せっかくちぐさっていう店がジャズの資産を持っているのだから、ジャズで応援しなきゃって。同時に、ほとんどのメンバーは、『やはり実店舗を持つべきだ』という意見でした」。ただ実際に店を持つというのは、簡単なことではない。だから新村さんの言葉を借りて言うと、「絶対にやるというカチッとした感覚というより、できたらいいなと言う感じに近いフワッとした感じでした」。

店内には、ハンク・ジョーンズやジャック・ディジョネットなど大御所ミュージシャンのパネルも

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