受け継がれる「吉田イズム」 ニューちぐさ誕生へ

 冨山さんへの支援を機に、陸前高田とのつながりができた。2011年4月にチャリティーを開いてお金を集め、寄付されたレコードを持って東北へ向かった。「ただ郵送するだけでは、どこに届くかわからないというのもありました。それよりも大きかったのは、ジャズの記事(冨山さんの写真)を見て、ジャズで繋がりができ、ジャズでチャリティーをやったんだから、直接『h.イマジン』に届けたいという皆の強い思いがありました」

 実際に会ってみると、冨山さんは、震災直後にもかかわらず陽気だった。しかし、新村さんたちにとっても、悲しみはもちろんのこと、複雑な思いが当然のように渦巻いていることは想像に難くなかった。そのとき、新村さんたちは、粋な計らいを携えていた。集めた寄付金や事前に聞いていた冨山さんが好きそうなレコードをプレゼントしただけでなく、電池で動くポータブル・プレーヤーを持参したのである。「冨山さんの店のあったところはがれきの山でした。そこでレコードをかけたんです」。震災から数カ月後、冨山さんは言った。「レコードに針を落とした時の音が聞けた。すごくうれしい、感動しました」。ちぐさでないとできない復興支援である。

2代目店舗の屋根から飛び出すように設置されていた看板が、2階の事務所に保管されていた

 その後、出張ジャズ喫茶などイベント的なことを続けた。震災から1年と経たない時期に、冨山さんがとんでもないことを口にする。「ご自身は仮設住宅にも入れず、避難所生活をしている時に、『店やるぞー』っておっしゃったんです」。その言葉を聞いた時、新村さんをはじめ、ちぐさ会のメンバーも衝撃を受けた。「これは、ちぐさも、まごまごしてられないぞと。震災の前のような、ちゃんとした店を再建しよう。震災で気持ちがなえていたところに、被災した冨山さんが、自分の状況を顧みず、次の冒険に出ようとしている。ちぐさは、『この人について行かなくてはならない』ってみんなの心が一つになったのです」

一番乗りの客は、扉の前で開店を待っていた。杖をついている姿が印象的だった

 野毛に戻り、空き店舗を探して見つけたのが今の店だった。冨山さんの店と同時にオープンしたいという気持ちもみんな同じだった。それは自分たちが震災を忘れないためでもあったと新村さんは、神妙な面持ちで語った。「結局、12(同24)年3月11日に、陸前高田の『h.イマジン』と、野毛の『ちぐさ』は同時に再オープンしました」。誇らしげな表情の新村さんのまなざしがこちらをまっすぐ向いていた。 

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