エレガと屋上遊園地 お子様ランチに胸ときめかせ

コラム其ノ拾捌(特別編)

retroism〜article175〜

 昭和の時代には、「おめかし」して行く場所が今より多かった気がする。代表的なところがホテルだ。ホテルニューオオタニ東京には、家族全員が着飾って出かけたものだ。男性はネクタイ必須で、ない場合にはホテルが用意してくれていた。

 そこまで厳格ではなかったが、百貨店(デパート)も同じだった。おしゃれではなく、あくまで「おめかし」なのである。百貨店に行くのは、だいたい家族全員で出かけるのが一般的だった。同時に、家族にとってワクワクするイベントだった。両親は1カ月後に開催される親戚の結婚式用の礼服をそろえる。その間子供たちは、玩具売り場で、後で買ってもらうおもちゃを何度もぐるぐるまわって物色したものだ。現在でもエレベーターガールがいる百貨店は高島屋日本橋店など数店舗しかない。ホスピタリティーもさることながら、彼女たちの存在は客に癒やしも与えている

 階の移動は、エスカレーターもしくはエレベーターを利用した。扉が蛇腹のエレベーターが今となっては懐かしい。白や黒の手袋をしたエレベーターガールが、しなやかな手の動きと共に、「上にまいりまーす」または「次は4階家具売り場でございます」などと客を誘導する。客が乗り込むと大きなレバーをガチャンと回してドアを閉める。「ご利用階数をお知らせ願います」と言うと、それぞれが「5階お願いします」などと声を上げる。今に比べてスピードは遅かったが、せっかく百貨店に買い物に来たのだから、ゆっくりと回っても誰も違和感を感じていなかったと思う。ちなみに、日本で最初のエレベーターガールは、1929(昭和4)年の上野松坂屋店だと言われている。当時エレベーターガールという呼称はなく新聞には「昇降機ガール」と記されていた。