エレガと屋上遊園地 お子様ランチに胸ときめかせ

 買い物そのものに関しても、あれこれと悩むのが、百貨店の流儀だった。ブラウス一つ買うのも、店にあるパンツ(昔はズボンと呼んだ)を店員の人がいろいろと出してきて、ブラウスと合わせながら相談に乗ってくれた。男性も同じで、セーターが欲しいとき、店員がそのセーターに合うスラックスを何本か出してきて合わせながら(自分の持っているスラックスを思い浮べて)選んでいく。靴も帽子も全部同じだ。店員が一人ひとりについて、アドバイスをしながら、コーディネートしていった。おそらく今では、「うっとうしい」と思う人も少なくないかもしれないが、人との触れ合いを伴う、そんな買い物の仕方の楽しさは、確実にあった気がする。松阪屋上野店では、今でもレトロなエレベーターが人々と優雅なひとときを運んでいる

 最上階にあったレストランでの食事も大きな楽しみの一つだった。昭和の食事は主に箸が中心だった。百貨店では、洋食が中心だったので、ナイフとフォークを使った。その外食している感がゴージャスな気分にさせ、「お出かけ」してる高揚感を味わえた。メニューはハンバーグやオムライスなど今となっては何の変哲もないメニューが並ぶショーケースは、まるで玉手箱を思わせた。

 ワンピースに白いエプロンをしたウエイトレスが、銀のお盆に水、ビニール袋に入ったおしぼりを乗せて運んでくるところからワクワクは始まる。食券をパチンと鳴らして半分に切るのもパフォーマンス(?)の一つだった。大きなメニューを家族一人ひとりに渡し、自分の中では、ほぼハンバーグと決まっているのに、大きなメニューを眺めるのが、子供にとっては、大人になった気分にさせる儀式のようなものだった。

 幼児には、背の高い椅子が用意されていた。彼ら彼女らにとっては、なんといってもごちそうは「お子様ランチ」だった。エビフライ、ハンバーグ、ウインナー、ナポリタン、ご飯は必ずケチャップライスで旗が立っていた。これらが嫌いな子供がいるだろうか。ある意味反則である。旗は、デパートのロゴ、5月5日の「こどもの日」前後にはコイのぼりに変わっていたこともあった。または日本とアメリカの旗がそれぞれ一本ずつなどというパターンもあった。子供が好きなものが皿の上に乗っているのは、たまらない組み合わせだった。東急蒲田駅の駅ビル「東急プラザ蒲田」に残る屋上観覧車。乗客の夢と希望を乗せ日々回っている