昭和感半端ない近代商業建築の洋食屋

パリー食堂(埼玉・秩父)

retroism〜article1

 見上げると思わず息を飲む外観だ。モルタル塗りの壁面に金色で大きく書かれた「パリー」の文字が燦然(さんぜん)と輝いている。屋根部分をよく見るとコーニス(洋風建築の軒・壁の頂部と下部とを区切るための帯状の装飾)を巡らせ、その下にはエッグアンドダーツ(卵と矢じりのパターンを交互に刻んだデザイン)の文様が控えめだがくっきりと描かれている。いわゆる近代商店建築を今に伝える貴重な建物なのだ。国の登録有形文化財にも指定されている。

威風堂々とした店構えを前にすると、名状しがたい
思いに駆られるのは、店の長い歴史のなせる技か?

 さらに、右から読む暖簾(のれん)が外観にマッチしている。ショーウインドーに並ぶのは、昔ながらの食品見本。否応なしに心惹(ひ)かれ、目を凝らさずにはいられない。ガラガラと引き戸を開けると、かつての食堂の定番である簡素な作りのパイプテーブルと木製の椅子が整然と置かれている。丸いプラスチックのトレーにはソースと塩、つまようじが買ってきたままの姿で並ぶ。なぜかしょうゆだけが自前の容器に移し替えられていた。出窓には、子供が書いた絵、駄菓子屋にあったような大きくて丸いガラス瓶の中には、どこから来たのか分からないマッチ棒が、びっしりと入っている。

 パリー食堂店主の川辺(かわなべ)義友さんが、ボソボソと言う。「仲間がどこかから持ってきたんだよ。中身のことは俺は知らねーな」。モルタルの壁と木の枠だけの内装はまさにシンプルの極致と断言していいだろう。飾り気もなければ色気もない。目につくのは、壁上部にびっちりと貼られた祭りのポスターだ。「俺は祭りには関わってないよ」。それでも、ポスターを飾っているのは、秩父人としての必然かもしれないが、そんなことを聞こうものなら、川辺さんはきっとこう言うだろう。「くれるから貼ってるだけだよ」と。

比較的新しくみえる暖簾だが、読み方は右から左。その左上に見えるのは、中華料理もありますよというサインだ

 赤いチェックのワークシャツがとても似合う川辺さんは、そんなクールな男に見えた。店は、父親が1927(昭和2)年に始めたが、早くに他界した。18歳になった川辺さんは、後を継いだ母親とふたりで、店を切り盛りしてきた。「昔は洋食が中心で中華も出してたんだ。まあ、今も同じなんだけどね」。そう言うと、川辺さんは店の奥から丁寧に扱わないと破けてしまいそうな古いメニューを出してくれた。

 表記が面白いのが、この手のメニューの特徴だ。飲み物のところにコーヒーがありその上には「コー茶」とある。「ポークソテー40円」や「海老(えび)フライ」などの洋食らしいメニュー名が羅列され、卵料理のなかに「ボイルエグス20円」や「フライエグス20円」などと小さな文字で書かれている。ゆで卵の値段がメイン料理であろうポークソテーの半分というアンバランスな価格設定が時代を物語っていた。「トマトサラダが時価」、に至ってはもはやシュールとしか言いようがない。「当時、トマトは高かったんじゃないかな。じゃないと、時価なんてことにはならないよな」

いつごろのもの?という質問にも、「いつだろうなぁ」としか答えてもらえないメニュー。ただ、値段を見ると「戦後ぐらいだろう」と言う川辺さん

   確かに、こういう不思議な値段設定が、昭和の食堂には存在していたのである。「俺は、その当時のことについてはよく知らないけど、かなり珍しがられたみたいだよ。秩父では洋食なんて誰も食べたことなかったから」。当時に比べて料理の数は大幅に削られ、メニューはシンプルになったが、洋食メインで中華料理や丼物もあるラインアップの伝統は今も受け継がれている。料理数を減らした理由を川辺さんに聞いてみた。「最近のお客さんは、家族4人でくるとみんな頼むものがバラバラなんだよ。だから、種類が多いとめんどくせーんだ」

料理の得意な親せきのおじさんが作ってくれたような温かい味の唐揚げ(600円)は、濃いめの味付けなので、ご飯か日本酒と一緒だとさらにいい

 簡単明瞭である。得意な料理はと尋ねると、「オムライス」と即答した。なるほど、ネットに出てくる料理の写真が、オムライスばかりなのもうなづける。そこで、唐揚げと酒の組み合わせを注文すると、川辺さんは目を丸くして、「唐揚げ撮るの?」と聞き返す。天邪鬼(あまのじゃく)な奴と思ったらしい。それでも重ねてお願いすると、厨房(ちゅうぼう)へと消えた。しばらくすると、プチプチと鶏肉を揚げる油の音が聞こえてくる。供された唐揚げは、今まで食べたことのない味だった。胸肉を使っているが、そのジューシーさに驚く。使う調味料はしょうゆと酒だけ。ちょっと濃いめの味付けは、飯にも酒にも相性抜群だ。「俺は、料理下手だから」。謙遜する川辺さんの言葉を聞きながら、同時に唐揚げを頬(ほお)張りながら、頭に浮かぶのは洗練という言葉だった。

 洗練とは、幾多のトライアンドエラーを繰り返し、反復練習の末に初めて得られるある種の到達点である。そこに至るには、歴史と言う名の膨大な時間が必要だ。パリー食堂の唐揚げは、まさにその極みを思わせる味なのだ。「俺はね、ここを出たことがないんだ。だからちっとも料理が上手にならないんだよ」。笑った川辺さんは、自分の過去をほんの少しだけ明かしてくれた。「親父が早く死んだから、料理を教えてくれたのは母親だったんだ。俺が店に入った当時はけっこう忙しかったよ」

今ではほとんど見かけなくなった独特の形をした石油ストーブの上には使い古されたやかん。「いつからあるのかなぁ。だいぶ前からだな」と川辺さん

 秩父は昔から、セメントと木材と絹織物で栄えた。羽振りのいい職人や職工が街を闊歩(かっぽ)した街でもある。彼らの相手をする芸者衆も多い時には80人を数え、20軒を下らない数の置屋もあったという。男たちは、芸者を呼んで遊ぶ時、パリー食堂の2階の座敷を使った。凝った外観と洋食という珍しい食べ物が、男たちの自尊心を満足させたに違いない。

「当時は、今の食堂という形態とは違って、女給さんもたくさんいた料理屋だったから、2階で宴会も頻繁にあったよ。海老フライなんか食いながら、芸者遊びするんだな。あとは、周辺に遊郭もあったから、トンカツなんかを土産に持って行ったお客さんもいたよ」。パリー食堂に出入りする男たちは、さぞモテたに違いない。なにしろ、珍しい洋食が土産なのだから。

レトロイズムからの取材申し込みが「パソコン マガジ」とカレンダーにメモされていた。惜しい!

 今や、観光地へと姿を変えた感のある秩父。しかしその土台には、パリー食堂のような昔ながらの洋食屋(料理屋)が築き上げてきた個性的な食文化がしっかりと根付いている。

ぱりーしょくどう
埼玉県秩父市番場町19-8
📞0494・22・0422
営業時間:午前11時半~午後8時半
定休日:不定休

文・今村博幸 撮影・柳田隆司

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