ミニマルヤマ(東京・墨田区)
retroism〜artticle140〜
「僕にとって興味があったのは、当時のイギリスではなくパリでした」
1970(昭和45)年、ビジネスチャンスを求めて、「ミニマルヤマ」の代表取締役社長・丸山和夫さんはヨーロッパへ旅立った。目的地はパリだ。そこで丸山さんの目に飛び込んできたのは、美しい街並みを全長およそ3㍍の小さな車がイキイキと走る姿だった。「駐車しているだけでおしゃれだったのを覚えています」
ジョン・クーパーの美しいエンジンルームと丸山さん。とびっきりの笑顔が人柄の良さを物語る
もともとミニは、「BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)」傘下のオースチンとモーリス・モーター・カンパニーがそれぞれ「オースチン・セブン」と「モーリス・ミニ・マイナー」という名前で販売していた。それを59(同34)年に「ミニ」という名称に統一して販売されたのが始まりだ。小さくて高性能という触れ込みで、製造理念は独特だった。「購入者の希望やぜいたくを拒絶したんです。大人が4人乗れて、それに必要最低限の車を作るところから設計が始まりました」。楽しそうに丸山さんが続ける。「サンバイザーは運転席側だけで助手席側にはついていませんでした。バックミラーやサイドミラーも含めて全てがオプションなんです。動くだけの車でした」。ただ安全性は、当時の最高を求めた。「標準でABS(アンチロック・ブレーキ・システム)や衝撃吸収ハンドルを装備。どんなに衝突しても運転者の胸を傷めないようになっていて、2000年に至るまで変わりませんでした」。竹の棒を入れてガソリンの量を測っていたころからインパネにメーターを標準装備していた。
ミニマルヤマオリジナルのサイドミラー。一見何の変哲もないように見えるが、確かにオシャレ感がプンプンと漂う
車体の剛性も極めて高い。大きな理由が二つある。極めて厚い鉄を使っていること。ボンネットのアールは絞り方が深く(曲げ角度が大きい)卵の殻のような原理で衝撃に対して強い。「1950年代、車の生産が隆盛を極めた頃にヒーターなどのぜいたくな装備よりも、安全性と合理性、グローバルなところに力を注いだことを意味しています」。当時、世界のセレブが特別仕様車をこぞって注文したのだ。名を連ねたのは、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、フェラーリの社長エンツォ・フェラーリ等々、誰もが知る超有名人である。「値段は、ロールスロイスと同じくらいと言われていました。エリザベス女王も注文したほどでした」
ミニのガソリンの給油口も個性的。昭和を代表する外車の一つだ