オールドミニ復活の立役者 世界に一つだけの車を

 やがて、イギリス本国では売れなくなっていった。そのミニに目をつけたのが丸山さんだった。ただ、日本にはこの手の車はすでに存在していた。むしろ、小さくて高性能などといううたい文句ではインパクトはないに等しかった。なぜなら、日本車の方がその点においては、数段優れていたからだ。そこで、丸山さんは見方を変えて日本に持ってくることを考える。「僕がパリで見た、ミニの持つファッショナブルな部分を前面に出せばビジネスになると思ったんです」。そして、73(同48)年にミニマルヤマを創業する。ミニのパーツ販売や修理の専門店としてのスタートだった。

 転機は83(同58)年、視点を変えただけでなく、さらにそこに独自の技術を投入する。イギリスのローバー社から輸入したミニを、「マルヤマ仕様」にしてジョン・クーパーというオリジナルブランド名で「昔のミニ」(オールドミニ)を復活させたのである。現在ミニを製造しているBMWをして、「丸山がいなければ世界でミニの復活はなかった」とまで言わしめた。価格は他のミニの2倍(360万円)もしたが、日本で4000台、世界で2万台を売った。「その頃、イギリス本国のミニは世界的にみても売り上げは芳しくありませんでした。いつ潰れてもおかしくない状況でした」

レストアを証明するプレート丸山さんがレストアした車に付けられる車体番号などが書かれたプレートには、メカニックとしての誇りが感じられる

 ミニの魅力は、乗らなければわからないと丸山さんは言う。「小さくて可愛くて高性能。ポルシェに乗ってる人は、当然のようにスピードを求めます。でも、50㌔で走れれば満足する人もいて彼らにとってはそれが楽しい。その楽しさをさらに引き出したのが私なんです」。丸山さんは「クルマ界のすごい12人」(新潮新書、自動車評論家・小沢コージ著)の中で、自動車業界に貢献した一人として記されている。

 部品が豊富なところもミニの魅力だ。「59年から2000年までの部品がほとんど共通なんです」。加えて、ミニマルヤマには、オリジナルのオーバーフェンダーやホイールなどがそろっている。「神戸製鋼が、『丸山君のためにホイール作ります』って言って作ってくれたんです。タイヤは、岡本理研ゴム(現オカモト)が、ハンドルはホンダのS600のものを作っていたスバルの関連会社が僕のために骨を折ってくれた。ありがたいことですよね」

ミニマルヤマの店内マフラーを買いにきた若者と丸山さん(右)。少し話をした後、「これにしなよ」と言われた男性は「はい、わかりました」と即答。商談は一瞬で成立した