酒と泪とオヤジと若者 飲みニケーションの効用⁉︎

  以前、食のライフスタイル雑誌の編集部に勤めていた頃、次号の第1特集のテーマがなかなか決まらず、編集長を含めて頭を抱えていた。完全に行き詰まっていた。そこで、編集長が部員に一声かけた。「ビールでも飲みに行こうか」。全員が賛成し、少し大きめなビアホールへと出かけた。たわいない話をしながら飲み始めたが、つまみに出て来た枝豆を見た瞬間に編集部員の一人が、「僕、枝豆が大好きなんですよ」。 俺も、私もと口々に言う。他の部員が「枝豆特集ってのはどうですか?」 血の巡りが良くなっているから、思いがけない発想も飛び出す。「枝豆だけではちょっと弱いから、豆特集にしたら?」「だったら、もう少し広げて、『ビールに合う野菜特集』は?」。どんどん話が広がっていった。最終的にどんな企画になったかは覚えていないが、ビール、日本酒、ウイスキーなどに合う野菜料理をテーマにすることになったと記憶している。これぞまさに、コミュニケーションの媒介としての酒(ビール)が機能した典型だ。

 父方の親戚は、あまり酒を好まなかったが、母方の方は、ほぼ全員が大酒飲みだった。とにかく集まると、人数にもよるが、たいていは、一升瓶が何本も空になった。大人になり、酒を飲めるようになってから、さらに楽しさが増した。いとこの一人は説教好きで、酔うと必ずお小言が始まった。人としてどうあるべきか、やっていいことと悪いことを、大人になったつもりでいた筆者にこんこんと説いた。それでも、何度聞いてもその都度納得した。10歳ぐらい年上のいとこだったが、説教癖は今でも変わらない。かなり前に亡くなった祖父も酒を飲むと必ず言うセリフがあった。「先祖を大事にしろ」だった。その考え方は酒を飲んだ時にのみ発せられていた。まだ子供だった筆者の心に深く刻まれている。

飲み屋街の赤ちょうちんやネオンに吸い寄せられ、気がつくとのれんをくぐってた経験のあるご仁も少なくないだろう

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