酒と泪とオヤジと若者 飲みニケーションの効用⁉︎

 母親が死んだ時、気を使って友人が飲みに誘ってくれた。普段通りに酒をたしなみ、友人と話をしている時に、友人の笑顔と生前の母親の笑顔が重なったのだと思う。友人の優しげな顔を見ながら、思わず涙がこぼれた。酒が飲める年齢になってから、笑ったことは何度もあったが、泣いたことは一度もなかった。しかし、その涙と一緒に、何かが吹っ切れたような気がした。彼とのコミュニケーションがあったから、救われたのだ。一人部屋で飲んでいたら、そんな気持ちにはなれなかっただろう。筆者は、友人にわびた。「ごめん……」。彼はすかさず答えた。「お前にとって一番大切な人が亡くなったんだ。当たり前だろう。気にするな」。彼の言葉が、心にしみた。それからは、もう泣かなくて済むと思わせてくれた。 

 酒は、人と人との繋がりを濃くする。適度に飲めば、血行を良くし、「酒は百薬の長」とも言われているのだ。ところが今、「飲みニケーション」の時代は終わった。若い人たちは、酒を飲まない人が増えていると聞く。その原因はいろいろある。酒の席でのパワハラ、セクハラ、悪酔いしてものを壊す、だれかれ構わず絡んで、愚痴を周囲にぶちまける。そんな人が増えれば、確かに酒など飲みたくなくなるのは分かる。しかしそれは、酒の責任ではない。酒を悪く言う人は、まるで酒の存在自体を悪のように見る。酒に罪はなく、それは酒に対して失礼というものだろう。

いわゆる「短冊」と呼ばれるメニュー。近頃ではあまり見なくなった

 かつては、「悪い酒」を飲むご仁が多かったことは確かかもしれない。酒の飲み方を知らない若者が、勢いでアルコールを摂取することのみに執着していたからだ。酒好きとして一番悲しいのは、「悪いのはすべて酒のせい」と言われることなのだ。

 令和を生きる若者には、かつてどこの酒場にもいた「大人の酒飲み」と出会ってほしい。最近は、マナーをわきまえた、紳士が酒場でも増えていると信じたい。お互い顔を合わせて酒を酌み交わすことにより、メールやLINE、電話では説明できない細かいニュアンスも伝わり、思いもつかない発想が生まれることも少なくない。飲み過ぎはもってのほかだが、時には酒と上手に付き合うのも、円滑な人間関係を築く上で必要だろう。

文・今村博幸

 

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