時刻表に詰まったロマンと憧れを私設博物館に

 そんな時刻表と鈴木さんの出合いは、小学校1年生の冬だった。小型版の時刻表が自宅のこたつの上にポツンと置かれていた。父親に尋ねると、時刻表というものだと教えてくれた。その言葉自体、当時は聞き慣れないもので、響きが新鮮だった。父親が使い方を教えてくれた。例に挙げたのはロマンスカーだった。新宿を何時に出ると、小田原には何時に着くとか。小田原に着いたら、東海道線で東京に戻ることもできるし、新幹線で大阪方面に行くこともできるということも。「要するに、一つの列車が終点に着く。でもそこで終わりではなくて、乗り換えっていう手段があることが、子供ながらになんとなく不思議で面白いと思いました」。路線の筋を追う楽しみを知ったきっかけだった。時刻表を調べるのではなくて、読む喜びを覚えていく。五つの列車を同時に走行可能なNゲージのレイアウト。実際に「ガタンゴトン」という耳に心地良い音が聞こえてくる

 実際に旅に出なくても、想像の中で子供心に世界が広がっていった。今日はどこからどこそこ行ってみよう、どうやっていけばいいのか調べてみるのが、鈴木さんの遊びでもあった。調べていくうちに実際に行ってみたくなる。オレンジ色の電車(中央線)に書かれている「高尾」ってどんなところだろうと気になり、小学校2年生の時に、1人で中野から高尾まで行ってみた。「ずいぶん遠いなって思っただけの小さな旅でした」。それをきっかけに、1人で出かけるドキドキ感とか、初めて見る景色が訪れるたびに新鮮だった。より遠くに、列車を乗り継いで行ってみることが始まった。活字で見たものを実際に経験したいと思い始めて、電車に乗るのも好きになっていった。


(上)定期券に押す行き先のハンコ。当時印刷されたものが発売されていたが、駅に
よっては、これらのハンコが使われていた。(下)恵比寿駅で買う定期券は、行き先
がハンコだったので、鈴木さんはそれが欲しくてわざわざ恵比寿で定期を買っていた

「時刻表に対しては、好きというよりも、友人とか知人とかではなくて、血縁関係のような愛着がその頃には芽生えていました」80(同55)年から集め始めて、毎月買うようになった時には、なんとなく捨てられなかった。「高校に入学してかなりの量がたまってきた頃には、完全に捨てられない状態でした」。自分の中でいろんな想像力をかき立てられ、さらに大きくなったことが、手元に置いておきたい感情へとつながった。ただの数字や文字の羅列に過ぎないものだけれど、どんどん自分の中で、その場所の風景や人の流れやら、匂いやらが鈴木さんの中で膨らんで行った。それを確かめたくて旅に出る。そのきっかけは常に時刻表だった。

入館したら硬い切符にハサミを入れるのがルール。思わずニヤリとさせられる演出である