「昭和の暮らし」から学ぶサステナブルな営み

昭和のくらし博物館(東京・久が原)

retroism〜article97〜

 時代の本質は、暮らしの中にある。「昭和のくらし博物館」が提示するのは、そんな極めて根源的で普遍の真実だ。

いまだに現役の真空管ラジオ。その横には黒電話。茶の間の必需品でもあった

 同博物館のモットーは、「家を残し、くらしを伝え、思想を育てる」である。学芸員の小林こずえさんが説明する。「古い家をただ残すだけではなく、残したうえで自分たちの先祖や親たちがどう暮らしたのかを伝え、かつ今後、私たちがどう暮せばいいのかを考えてもらう場所になりたいのです」

 振り返れば、昭和には悲劇もたくさんあった。最大のものが戦争だ。館長であり生活史の研究者でもある小泉和子さんは、そんな戦争を憎んだ。「館長は、戦争や災害時にあったつらい目を通して、時代に翻弄(ほんろう)されるのは、政治家や著名人ではなく庶民だと実感したのです」

水道が敷かれた後も井戸は残っていた。洗い物は井戸水で、料理なら水道水と、使い分けていた

 厳しい毎日の中で、少しでも生活を豊かにと考えてこらした庶民の工夫は、現代にも通じる。「当時は、不便だったり、整備がなされてない事柄もありました。でも、合理的なこともたくさんあったのです。物資が少ない分、手元にあるものを合理的に使う必然もあったと思います。今よりもおいしかったり、楽しかったりしたことも少なくないでしょう。それらをもう一度見直したい、そのきっかけになればというのが私たちの思いです」と小林さんがほほえむ。合理性の好例が台所だ。しょうゆやぬかみそ、冷暗所に置くべきものは、床下の貯蔵庫にしまう。豆炭や練炭などかさばるものも入っていた。一方、蝿帳(はいちょう)には氷で冷やす冷蔵庫に入れるまでもない、ちょっとしたおかずの残りやたまごなどを保存した。「今は、何でも冷蔵庫に入れますが、モノによっては、温度や湿度を把握しておけば、風通しのいい場所であれば冷やす必要はありませんでした」

窓の鍵は、ネジ式だった。なくならないように、
窓の桟(さん)にぶら下げる仕様になっていた 

 食べ物も、今より格段においしかった。キュウリやピーマンなどはエグみなどが少なかったように思う。そして、思い出すのが魚肉ソーセージ。マルハ印のそれは、魚の味がソーセージに昇華されていた。さらに米の飯も、当時のほうが味が良かったことは、進化した最近の炊飯器を見れば一目瞭然である。高級な炊飯器の多くが標榜(ひょうぼう)するのが「竈焚(かまどだ)き」なのだ。昭和(特に初期)には、電気炊飯器はなく「竈」が使われ、さらに適度に水分を飛ばすおひつに移されて食卓にのぼった。高級料亭が白飯を供するのに、昔ながらの方法を使うのは、手間隙がご飯をおいしくするからに他ならない。 

トイレの手洗い器。下についた細い
棒を手のひらで上に持ち上げると水
  が出た。足元には、四角い落とし紙  

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