刺さる歌詞とメロディー 昭和歌謡に酔いしれた夜

 昭和の作詞家で忘れてならないのは、阿久悠だろう。彼の研究本は何冊も書かれているが、つい聴き入ってしまう歌詞は、彼の作詞に対する姿勢に表れていると言っていい。大阪教育大学の学生が書いた卒業論文が興味深い。その中で、阿久のこんな言葉を引いている。

 「僕は、テーマ選びの基本姿勢として、時代の飢餓感を見極め、とらえることを一番に置いている。今の社会で一番欲しいものはなんなのだろうか。それは愛なのだろうか。優しさなのだろうか。陽気さなのだろうか。新しさなのだろうか。(中略)無限にあるそういったものを、常に社会の動きを見ながら考えているのである。その中には、もちろん、僕自身の飢えも含まれているし、時代の飢えも含まれている。そういう満たされない部分を補っているのが、歌の持つ一つの使命ではないかと考えている」

 「飢え」という文言が面白い。昭和という時代は、まだ人々は肉体的にも精神的にも飢えていた。日本人は、歌謡曲をそこから這(は)い上がるための糧にし、励まされながら国を発展させてきたとも考えられるのだ。アイドルたちの情報が満載だった「明星」から、彼らの動向を貪るように探っていた。青春の一コマである

 メロディーに関しても、バラエティに富んでいた。都倉俊一や筒美京平、前述の宇崎竜童など、次から次へと、新しいフレーズを世に送り出してきた。歌の世界に才能があふれていたことを表している。どの曲にも共通するのは、耳にすんなりと入ってくるところだ。昔聴いたことのある曲だからというだけではない。全体的に、メロディーがシンプルなのである。素直なコード進行が、中年以上の我々に、懐かしさだけではない、心地よさを運んでくる気がしてならない。