三角窓 重ステ 手動ウインドー…FUN TO DRIVE

 ただ、若い頃には、上手にトランスミッションを繋ぎ、滑るように走り出した時には、誇らしい気持ちにもなった。今考えれば、ちょっとばかげているが、「それだけの技術が俺にはあるんだぞ」という男子特有の優越感のようなものがあったような気がする。そんなふうに考えると、昔の車は、全てが「機械式」だった。だからこそ、男はその魅力にのめり込んでいった側面があるのだと思う。今の時代は、制御は全てコンピューター任せ。格段に運転が楽になったのも事実であるが、機械を操る楽しさは消えた。シフトレバーを握りギアチェンジをしながら、さっそうとドライブを楽しむ。まさに車の醍醐味(だいごみ)だった

 もう一つ、旧車との違いは、車体のデザインに特徴がなくなってしまったことに尽きると思う。極端な話、街を走っている車はどれも同じに見えてしまうのだ。「昔の車は機械だから、技術さえあれば直せる」。旧車を直してピカピカに磨き上げ、客に提供する車屋のおやじたちがそう口をそろえる。また、彼らは同じように、「旧車は個性派ぞろいだった」と少し寂しそうな顔をする。

 車だけではなく、一つの形や一つのシステムに集約していくのが、現代の特徴なのかもしれない。その方が合理的だし、作る方としては楽だからである。しかし、「面白み」というところでいうと疑問符をつけざるを得ない。かつて車は、一部の人を除いて大人たちの「おもちゃ」だった。所有し運転し好きな場所へと移動する。

 そんなうま味を車が失っていくのを見るのは寂しい。しかし、「それも時代なんだよ」とクールに構えるのが、「現代風」なのだろうか。

文・今村博幸