三角窓 重ステ 手動ウインドー…FUN TO DRIVE

 道路の渋滞があっという間に広がって問題になった頃の車には、「電動」という装置はほぼなかった。ドアのキーはキーホールに差し込んで、運転席のみの解錠だった。冬はまだいいが、4人でドライブに行った場合、駐車場に停めていた車内は、灼(しゃく)熱と呼ぶにふさわしい状態だった。全ての鍵を開けるのは、運転手の役割で、ドアロックの黒い棒を一つずつ引っ張り上げなければならなかった。それだけで、汗が噴き出る。同乗者は、急いで窓を全開にするが、もちろん電動ではなく、レバーを大急ぎで回した後、たばこを吸いながら、発進するまでドアは開けっぱなしにされた。CDすら存在しない頃(または普及する前)はカセットデッキが主流だった

 車にクーラーがないというのは、今思えば、ちょっと考えられない。暑すぎるに決まっている。しかし、旧車ファンには、それすらも昔のままがいいという「クルマ愛」に満ちた人もいる。トヨタが製造した「2000GT」を整備して販売するヨシノ自販の芳野正明さんは、かつて同車を所有していたが、「あまりの暑さに、なるだけ夜乗るようにしていた」と言っていた。乗るならクーラーをつければいいのにと思うが、そうもいかない。なぜなら、オリジナルの2000GTが好きだからだ。ちなみに、国産車で初めてカークーラーを搭載したのは、初代トヨペットクラウンだった。助手席の足元につけられていた後付けのクーラーがお目見えしたのは、70年代のことである。

 お気に入りの音楽を車の中で聴くのも、楽しみの一つである。しかし、当時の車には、ラジオしか積まれていなかった。それでも、格好をつけたい場合には、FEN(米軍極東放送、1997年にAFNに改称)が聴けたが、あとは歌謡曲をたまに流しながら、DJ(ディスクジョッキー)のおしゃべりを聴く番組くらいしかなかった。日本でカーラジオが普及したのは、戦後のこと。1951(昭和26)年に帝国電波(現クラリオン)が第1号を開発した。