落語界のレジェンドが愛した純喫茶

喫茶 楽屋(東京・新宿)

retroism〜article18〜

 寄席と噺(はなし)家に関わる錚々(そうそう)たるビッグネームが登場する「喫茶 楽屋」創業の物語は、近現代落語界の一大絵巻といった様相を呈する。

入り口の大きな提灯(ちょうちん)が目印。階段を上がると店内

 まず、新宿末廣亭は、1897(明治30)年に「堀江亭」として創業した。末廣亭になったのは、1910(明治43)年、名古屋の浪曲師・末広亭清風がこの場所を買い取ったことで、「末広」の名が使われるようになってからのこと。何回か焼失と再建を繰り返したが、先の大戦で再度焼失した。建築士で宮大工の棟梁(とうりょう)だった北村銀太郎氏が1946(昭和21)年、新宿末廣亭として再建し、現在に至っている。彼は、8代目桂文楽の師匠である名人5代目柳亭左楽師匠と親しかった。楽屋の3代目石川敬子さんが、ハキハキと解説する。「北村銀太郎は、左楽の一人娘だった私の祖母と結婚したので、祖父に当たります。この建物を作り、末廣亭の初代席亭に就任したのが銀太郎でした」

ハキハキと話す3代目の石川敬子さん。母親の前に祖母が少しだけ店に入っていたので3代目。彼女がハンドドリップで淹れるコーヒー500円は絶品

 今、喫茶楽屋がある部分の土地が空いていたため同時に購入し、芸人たちの楽屋として使っていた。「2階に祖父母と私の母親が住んでいました。母親は箱入り娘で、会社勤めはダメと言われて、この2階の空いているスペースを使って、喫茶店をすることになります。昭和33年のことでした。それが喫茶楽屋の始まりです。母は料理が好きだったので、本当は料理教室をやりたかったみたいです。でも、新宿のど真ん中で、生徒も来ないだろうということになり、喫茶店にしたそうです」。もともと芸人たちの楽屋だったから「楽屋」でいいんじゃないの、とその名がついた。「母は最初その名前も嫌がったみたいですね。今となってはよかったねって言ってます。芸人さんたちは、楽屋だから入りやすい。何よりここには、楽屋や寄席の匂いがします。だから芸人さんたちが気楽に来てくれるんです」

グリーンの椅子は硬さがちょうどよく座り心地が抜群。当然ながら、これらの椅子に多くの噺家たちが座ってきた

 実際に、寄席で噺をする落語家たちが頻繁に訪れた。若かりし頃の8代目橘屋円蔵師匠や、四角い顔でペヤングソース焼きそばのCMでも人気だった桂文楽師匠は、大師匠がコーヒーを飲んでいるのを立って待っていた時代もあった。「当時、柳亭左楽の孫がやってるお店なんだから、お前たちなんかが入れるところじゃないんだぞ、みたいな厳しい師弟関係があったみたいですね」。戦後の落語界で繰り広げられた人間模様を見ることができた場所でもあったのだ。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

error: Content is protected !!