偶然の出会いが奇跡呼ぶ ライトの希少な学校建築

 「家庭で必要な技術、社会に目を向けていく考え方を掲載し、広めていくことを目的としていました」。そんな中、二人(特にもと子)は、雑誌によって伝えると同時に、子供たちを教育していく場所の必要性を感じるようになる。「夫妻には3人の子供がいて、三女が女学校に上がる際に、思い描いていた学校を実現しようと決心したようです」。知識を得ることも大切だが、自ら考え学ぶ力を養い、日々の暮らしに密着した教育をモットーとした。昼食の調理など学校での生活を生徒自身が担う教育方針をとった。

(上)普段は開けていない窓(保存のため)を特別に開けても
 らった。枠は木材で経年劣化もあるが、大切に維持されている
(下)窓を開けたまま固定する金具までが、きちんとデザイ
ンされているところに、建築家のこだわりを感じる   

 明日館の建築においては、多くの「不思議な出会い」が重なっている。羽仁夫妻は建築家・遠藤新と懇意であったため、校舎の設計について相談をもちかけた。時を同じくして、遠藤は帝国ホテル設計のために来日していたフランク・ロイド・ライトのチーフアシスタントを務めており、羽仁夫妻とライトを引き合わせた。羽仁夫妻の理想とする教育に共感したライトは、校舎の設計を請け負うことを即断した。

斜めに入った窓の格子は全て同じ角度で統一され
  ていると聞き、思わず膝(ひざ)を打ってしまった

 「帝国ホテルの建築が進むにつれ、施主との間にあつれきが生じていた頃で、ライト自身も気落ちしていたのかもしれません。そんな時に出会った羽仁夫妻は、ライトの心のよりどころになったのではないでしょうか。ライトは自伝のなかで、東京で知った興味深い人たち、として「素晴らしい小さな『自由学園』の羽仁夫妻」と記しています」と岡本さんは説明する。
時を経た木の匂いがしてくるような、当時使われていたテーブルが残っていた。昔あったはずのぬくもりさえ感じささせる