贅の極みを尽くした「欧州の古城」で昭和に浸る

 60年近く経った今でも通ってくる客がいて、「この味、この味」と懐かしがることも少なくない。「あの頃は、父が当時は珍しかったレストランもやっていました。おいしかったと評判でしたよ。だから結構忙しく、私もよく手伝いをさせられていました」と京子さんは、笑みを浮かべた。「台東区役所のそばだったので、役所への出前もたくさんありました。プラチナ萬年筆の工場や、旅館へも配達に行きましたね。中学生の頃も制服を着たまま、銀のお盆の上に、ケーキとグラタンとコーンポタージュを乗せて配達していました」。懐かしそうに京子さんが振り返る。「ひとつとか二つではなくて、50個とかの時もあって大変だったけど、それが当たり前だと思ってやっていましたね」。友達が遊びに来ても、おしゃべりしながらナプキンを畳むのを手伝ってもらいながら、ということも多かった。「家が商売をやっているとそういうことになるんです」と京子さんは笑った。
楕円形の照明が柔らかな光で店内を照らす。ついつい長居してしまいたくなる

 内装の豪華さから、接待にも使われた。「この辺りは長屋が多くて、お客さんが来ても接待するスペースはありませんでした。だから、うちに来てごちそうするなんてこともしていただきました」。グランドピアノがあり、夜は、上野学園の音楽科の学生に演奏してもらった。どこまでも優雅である店の備品は、ゆったりできる贅沢(ぜいたく)なソファはもちろん、創業当時からほとんど変わってない。「店に主張があるから、変えようがないんです」。60年代には内装に凝って、少しだけ照明を落とした喫茶店は少なくなかった。「初めはこれでよかったんですけど、明るい系の喫茶店が出てきて、時代の流れに押し流されそうになったこともありました。でも、豪華な喫茶店を残したいという意味で頑張って続けてきました」客層は、女性男性半々ぐらい。何気ないおしゃべりや、打ち合せと思われるビジネスマンの姿もちらほら

 省三さんが他界し、京子さんが継いだのは30年ほど前のことだった。「父がこだわって作ったものを、私が続けたいと思いました。父の意志を継いでいるつもりです」。飲食が好きなのかという質問に、京子さんは、継ぐのは当然と言う表情で答えた。「子供の頃から手伝っていたので、そういうもんだって自然に思っていました。だから何の抵抗もありませんでしたね」
(上)絢爛(けんらん)豪華なシャンデリア(下)テーブルに映り込んでる姿でさえも、不思議な魅力を湛(たた)える

 昭和はおおらかだった。誰もがそう言う。京子さんも同じ意見だ。「だから昭和がそのまま残っている当店なんかは、癒やされると思うんです。何事に対しても『まあいいか』みたいな気持ちがみんなの心の中にあったと思います。冗談も多かったしね」。上野で商うのも正解だったと京子さんはうなずく。「当時から、上野には気取りがないから、来るのにファッションに気を使う必要はありませんでした。お客さまも服や靴を買いに来るというよりも、飲むか食べるかが多かったんです。だからたくさんお金を使ってくれましたね」

細い階段を降りると店内。正面には渋い色
 合いのステンドグラスが目に飛び込んでくる

 上野駅はずいぶん近代的になった。しかし、上野かいわいに漂ういい意味での気取りのなさは、まだまだ健在のようだ。

こじょう
東京都台東区東上野3-39-10地下1F
📞:03-3832-5675
営業時間:午前9時〜午後8時
定休日:日、祝

文・今村博幸 撮影・JUN

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