自作の機器が奏でる大音量のコルトレーンに忘我

ジャズ喫茶・映画館(東京・白山)

retroism〜article166〜

 小さなドアを開けると、薄暗い店内に大音量でジョン・コルトレーンが響きわたっている。

ツイーターからスコーカー、サブウーハーまでフルセットで鎮座するスピーカから流れる音は一聴の価値ありだ

 コルトレーンは、1960年代のジャズ界に君臨したサックスプレーヤーである。そんなコルトレーンを愛してやまないのが東京・白山にある「喫茶 映画館」のマスター吉田昌弘さんだ。「最初に聴いた時には、とても言葉で言い表せないほどの衝撃でした」。サックスという楽器の多彩な表現力、コルトレーンの描く世界観は唯一無二だった。そこから吉田さんはジャズに心酔していくことになる。 

マイクロ製の糸ドライブ吸着式のターンテーブル。現在はゴムのベルトが主流だが、こちらは名前の通り、糸を使って回転させる方式だ

 コルトレーンは、1955(昭和30)年秋にザ・マイルス・デイビス・クインテットでデビューするまで無名だった。57(同32)年にセロニアス・モンク・カルテットに加入した後、58(同33)年に再びマイルスに復帰。59(同34)年、話題作となった「ジャイアント・ステップス」をリリースした。ほどなく、独立して自分のカルテットを結成した後は、次々と力作を発表した。当初はテナー・サックスを吹いていたが、ソプラノ・サックスも手掛け、新しい花形楽器へと押し上げた功績も大きい。

古い露出計とカメラを見れば、吉田さんが凝り性であることが一目でわかる

 67(同42)年に亡くなるまで、サックスによる表現の限界に挑み、一方ではインド哲学にも傾倒し、その精神的な影響力と共に、ジャズ界で尊敬を集めることになる。死の1年前、66(同41)年夏に行った来日公演では、消耗した体力で1曲を1時間かけて演奏し、その熱演は聴くものを圧倒した。 

若い客の姿もちらほら。いちげんさんにも優し