向島の置屋イメージ⁉︎ 昭和の味と人情にほろ酔い

銀座ホール(東京・砂町銀座)

retroism〜article144〜

   「最初は継ぐつもりはありませんでした。でも、病に倒れた父親がボソッと言った『何とかやってもらえねーかな〜』って言葉に心が動いちゃって」

 東京・砂町銀座にある「銀座ホール」の主人・石黒利雄さんは、両親が営んでいた同店を継ぐことになった経緯を語った。

元祖・純レバ。レバーを甘辛のタレで炒めてある(700円)。「アボカドとレタスを入れたのはうちが最初」と得意顔の主人。どこまでも独創的だ

 「砂町銀座」は、30軒ほどの店しかない比較的小さな商店街だった。一帯は鉄工所などの職人が多く住む地域で各店はにぎわった。しかし、東京大空襲で焼け野原になる。その後、地元の人たちの頑張りで、「全長約800㍍ほどの個性的な商店街」へと復活し発展した。日本一の繁華街だった銀座通りにあやかって1932(昭和7)年に命名された。「銀座ホール」という屋号は、「砂町銀座」の「銀座」をちゃっかりと拝借し、当時、両親が経営していた「ミルクホール」と組み合わせて生まれた(改名した)のである。

達筆、絵も上手だ。店先に貼られてい
る料理の絵などは、まさに玄人はだ

 「創業は戦後間もない頃と聞いています。僕が店を継いだのは80(同55)年でした。商店が並ぶ地域にあって場所は良かったから、閉めてしまうのはもったいないなって気持ちもありました」。人に貸してしまおうとも考えたが、当時2階に住んでいたこともあって、自分で店をやることにした。元々売っていた巴(ともえ)焼き(大判焼き)と焼きそば、ラーメン、あんみつなどが喜ばれた。「その頃、僕は畑違いの仕事をしていたけれど、料理も嫌いじゃありませんでしたからね」。ある意味「一からの船出」だった。

自然光と裸電球が合わさって、独特な輝きを放つ店内。

 「先代はレシピを残しませんでした。巴焼きの皮も小豆の炊き方も、何からなにまで自分で考えることになりました。だからアンコは、僕の味です。さっぱりめですね。アンコが好きでない人でも好きになるような味ですよ」。石黒さんが得意げに目を細める。「お酒にも合う。肴(さかな)にもなるのが自慢です」

 「巴焼き」と呼んでいるが、場所によっては、大判焼きという呼び方もある。実際に、「大判焼きください」と言ってくる客も少なくない。「僕は、お客さまに対して否定は一切致しません。『今川焼きくださいって』来たら、『はい今川焼き』って言って出します」。鷹揚(おうよう)な心の持ち主なのだ。こうして、実質的には石黒さんが始めた新しい店は砂町銀座になくてはならない店へと成長した。

手際よく焼き上げられる巴焼き。酒にも合うが、日本食のデザートとしても、好きな人はたまらないだろう

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