向島の置屋イメージ⁉︎ 昭和の味と人情にほろ酔い

 「僕にとって、銀座ホールの名前は大きかった。父親が残した屋号を変える発想は一切ありませんでした。むしろ残すことが第一の目的だったと言ってもいい。名前は、親父が育てた大きな柱でしたからね」

 04(同16)年に店を改装する。その頃は、巴焼き、焼きそば、ラーメン、あんみつも供する甘味屋だった。戦前からやっている老舗だからこそ、常に革新が必要という考えもあり、メニューはやがて増えていく。カツ丼から、焼きそば、中華料理などをはじめ、店内にある備品も、昭和の「食堂」を思わせる。

石黒さんは字も声も大きい。しかし、態度は小さいと言うより、堂々とした感じ

 例えば、タイルを多用した内観だ。「吉行淳之介の小説『原色の街』の舞台、向島の『鳩の街商店街』にある置屋さんはこんな感じですよ」。壁の半分は、奇麗な腰高のタイル。センターテーブルの上もタイルに覆われている。店先の、巴焼きを焼く場所とテーブルの間にある「波うつ曇りガラス」などもノルタルジーを感じさせる。木製の椅子は、座面を張り替えて骨組みは変えていない。「昭和の食堂のイメージを意識した内装です」

自身で作って食べたら、あまりのおいしさに「おったまげた」という野菜たっぷりの極上あんかけ焼きそば。納得の味だ

 その後、メニューも含め新しいことへのチャレンジが始まる。客のコップに注ぐ水もピッチャーではなくヤカンだ。「ただ単に、古いものにこだわりすぎてもダメ。革新も大切だと思ってます。老舗って言われる店ほど、新しいことに挑戦し続けてますよね」。優しい目をこちらに向けた。「それもこれも、親父が作ってくれた土台があったからこそできたことです」

中央に備えられた長いテーブルの天板はタイルが貼られている。最近はあまり見ないタイプだ

 また、商店街の仲間たちの協力も忘れていない。調理場とホールを仕切る場所にかかる赤いのれんは、客が作って贈ってくれたもの。父親が病に伏して一旦は店を閉めていたが、みんなの応援のおかげで再開する(継ぐ)決心がついたという。そんな話をしていると石黒さんは、「ちょっとごめんね」と巴焼きを作るために席を立った。「頻繁に焼かないとダメなんですよ。お客さんはやっぱり温かい方が好きだからね」。料理人の勘なのか、焼き終わるとすぐに客が来た。「冷めたらレンジでチンしてくださいね」。客は、そんなことわかっているというように「はいはい」と言って帰っていった。

石黒さん手書きの休業日の告知。右から2番目は、まるちゃんのお姉ちゃん?   みんな申し訳なさそうな表情をしているのが面白い

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