昭和のお笑いとザ・ドリフターズ

 「笑いとは何か」については、いろいろな主義や主張、または理論がある。立川談志は、亡くなるまで笑いにこだわった第一人者であると断言したい。理由は、自分の戒名まで芸人らしく、後世にまで語り続けることを踏まえた上で自らつけたからである。談志は、落語を「業の肯定」と定義した。一方、上方で動きの激しい高座を演じ、演目が終わるころには、着物の裾ははたげ、座布団から落ちかけるほどだった桂枝雀は「緊張の緩和」であると言った。両人とも、お笑いをけん引してきた噺(はなし)家だ。

 対してドリフはどうか。理論を振りかざせばいろいろあるかもしれないが、一言で表せば、「『コント』と『ギャグ』の面白さを世に知らしめたミュージシャンかつお笑い芸人」ということになる(志村けんがどこかのインタビューで言っていたセリフと記憶している)。彼らが繰り出すコントやギャグは、ただただ見ているだけで楽しめるシンプルな世界観があった。その中には「お下劣」というキーワードが散りばめられ、特に昭和の子供たちの大好物だったのだ。

おなじみ「雷様」コントの一場面

 昔の子供たちは、単純な下ネタに夢中になった。高度な下ネタ(というのもおかしいが)、ドロドロしたセックスの描写は年齢的にも見せられないし、性教育に関しては、学習指導要領で示されておらず、十分な教育がなされていない時代の話だ。極めてたわいのない言葉遊びでしかなかった。その素朴さは、今思い返しても、ニヤリとしてしまうほど愉快である。

 番組は、いかりや長介の「オイッス!」から始まり、会場に来た子供たちの甲高い「オイッス!」の掛け合いで盛り上がった。つかみはこれだけでOKだ。定番で面白かったのは、上から金だらいが落ちてきて、「角度によっては本当に痛かった」とメンバーが証言している、こちらもまたシンプルなギャグの一つである。いかりやは、だいたい会社の課長や母親などでメンバーは子供たちにふんしてテンポのある丁々発止のやりとりを繰り広げ、最後はセットがバラバラに壊れるというカオスで終わる。それがテレビの画面から流れた時、視聴者は不思議な満足感を与え腑(ふ)に落ちていく感覚を味わった。まるで、筒井康隆の小説の作り方にも似た、パターンだった。