昭和のお笑いとザ・ドリフターズ

  人が面白がる要素の一つとして、芸人が発するフレーズや動きに、意外性や突飛さ、非日常性などの、「奇抜な要素」が必要だと筆者は考える。ドリフの舞台には、それらが随所に見られた。今思っても、壁が倒れたり、しまいには家屋全部がぶっ壊れてしまうなんて、普通ではあり得ないのだ。しかし、台本がよく練られているからだと思うが、そんなシーンにも何ら不自然さを感じさせずに、笑わせる力があった。それらは当然彼らの力であり、上手さだったのかもしれない。「芸の質」はかなり高度だったと言い換えてもいい。

 今のお笑い番組を見ると、言葉で人をばかにしたり、おとしめたりするネタが多いような気がする。また、客の前で下着を脱ぎ、股間にモザイクをかけたりしているが、それは品の問題ではなく、芸があるかどうかの問題に過ぎない、ドリフの「高度な芸」とは真逆だ。

 我々の人生には、根本的に喜怒哀楽が必要不可欠だ。その「楽」の部分を担ってきたドリフターズという存在がなければ、世の中はもっと暗いものになっていたに違いない。大げさかもしれないが、明日への活力を彼らは我々に提供し続けてくれたのである。

文・今村博幸