昭和の喫茶店文化「未来」に 歴史紡ぐ2代目店主

 店を継ぐ前は2年間小学校の教師をしていた。当時は漠然とだが、定年まで勤めるだろうと思っていたという。それが突然教師を辞めて、喫茶店の店主に。自分を「感覚で生きている」という慶野さんは、この小さな喫茶店で生まれてきたであろう数々のドラマを想像しながら、同時にそれを途切れさせてしまうのは、心苦しささえ感じた。「あれよあれよという間にマスターとなった感じでした。そこが私の転機だったんですよね」。店を商っていくうちに、その思いは次第に膨らんでいく。将来もずっとこの喫茶店を残すという現実感のある「夢」は日に日に増しているという。

(上)ケチャップたっぷりの喫茶店らしいナポリタンは、日本ナポリタン学会認定店に指定されたほどの逸品(下)鍋を振る音もある意味BGM。食欲をそそる香りが漂ってきた

 継いだ当初は、資金繰りなども大変だった。クラウドファンディングなどにも挑戦し成功した。今のところ後悔はみじんもないと真剣なまなざしをこちらに向けた。「『たら・れば』をあまり考えない性格だし、やっと収入も落ち着いてきて、自分の衣食住を賄えるようになったし、これからが頑張り時ですね」入り口は、木製の重いドア。真ちゅうの取っ手も今はあまり見ることができない

 客層は広い。昼は30代から50代ぐらいのサラリーマン風の人が、食事やコーヒーで一息つく姿を多く見かける。「0歳から91歳まで来てくれている」と慶野さんは少し得意げな表情になった。「10代の中高生やファミリー層も増えてきました」。スターバックスなどの最近街にあふれているような店に行く人たちは、昔ながらの喫茶店に慣れてないので緊張するかもしれない。しかし、山百合は入りやすいと言ってもらえる。名店と言われていた喫茶店が、昭和というひとつの時代を支えていた。しかし、近年急速に減っているのが実情だ。慶野さんは、「チェーン店にしか行ったことない人たちに、昔からある喫茶店文化の楽しさを知ってもらえるきっかけになればうれしいですね」。わずか2年半の間に、常連も増えた。ずっと来店してくれる客に「今日もおいしかったよ」と言われるのが慶野さんの心の支えになっている。50年前から壁に貼られた木製のメニュー。最近ではあまり見かけない光景の一つだ

 昭和の喫茶店の存在理由を慶野さんはどう考えているのか尋ねてみた。「たくさんあると思いますね」と即答する。「まず、私たちにとって必要な空間だと思っています。家でもないし職場でもない『第三の空間』って勝手に呼んでいるのですが、静かにコーヒーを飲んでいると、自分もこの空間の一部になっている。その場にいるお客さんを含めて、私の方もずっとその様子を眺めていたくなるような場所って、減ってきていると思います。何かをしてもいいし、しなくてもいい、そのままでボーっとできる空間が、この古い店の中にあります」