旧皇族の「アール・デコ」宮殿 次世代に価値継承

 建築史の流れの中で、アール・ヌーボー様式(19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパを中心に花や植物などをモチーフとした曲線的な装飾)と、続いて登場するアール・デコ様式は、近代の世相と共に、変化を遂げてきた一大ムーブメントだった。そんなことに思いを巡らされる建造物の一つが旧朝香宮邸でなのある。「ヌーボーからデコ」に変わっていく時代を絶妙に捉えている。姫宮寝室前に下がる星型のステンドグラスはかわいらしい

 「アール・デコ様式にはあらゆる要素が含まれていて、ここは、古典主義的なファクターがあって、古代ギリシアの建築様式の一つであるイオニア式の柱を使っていたりもします」。学芸員で広報も務める板谷敏弘さんが、ゆっくりと解説する。「アール・デコ様式において、造形的なことでよく言われるのは、幾何学的な模様です。ただ、それは見た目のデザイン性のことで、ドイツでバウハウスが出てきたりとか、業態転換の間(はざま)にある、当時のヨーロッパの状況、第一次世界大戦が終わって、今度は工業が世界に広がっていく流れの中で、産業で覇権争いをしていくときに、各国が国の政策として、何を打ち出していくかと考えていたはずです」

大食堂から見た、大食堂の壁(手前)、大客
室、一番奥が噴水器のある次室(つぎのま)
※展覧会によって情景は異なる

 板谷さんは室内を眺めて一瞬間を置いた。「フランスにおいては、このままでは世界に後れを取ると考え、アール・ヌーボーを否定して、アール・デコ様式が台頭しました」。 近代化イコール工業化であるならば、「ヌーボー」ではなく、「デコ」へと移行することは、理にかなっている。ウォールナット材で囲われた重厚感ある大広間。天井の40個ある照明は圧巻だ

 華やかに見えるそんな旧朝香宮邸も、人生の虚しさが内包されていた。長女の紀久子女王は嫁ぎ、長男・孚彦(たかひこ)王も家を出ていた。次男の正彦(ただひこ)王は戦死する。允子内親王は、ここができて半年後には亡くなっているので、最後に住んでいたのは、殿下と次女の湛子(きよこ)女王の2人きりだった。その湛子女王も41(昭和16)年に結婚してしまう。「それから47(同22)年まで、殿下お一人で住まわれていました。使用人はいましたけどね。華やかな家で、家族の物語としては、ちょっと寂しい気もします」。斉藤さんは、最後にポツリとそう言った。

うっすらと雪化粧した旧朝香宮邸の前庭も、どことなく格式高く見える

 都会のど真ん中にたたずむ旧朝香宮邸は、2015(平成27)年には国の重要文化財にも指定され、歴史的建造物の価値をいまに伝え、未来に継承する役割をひっそりと担っている。

とうきょうとていえんびじゅつかん(きゅうあさかのみやてい)
東京都港区白金台5-21-9
📞: 050-5541-8600
開館時間:午前10時〜午後6時(入場は閉館の30分前)
定休日:月(祝日の場合は開館。翌日休館)
※庭園のみ入園200円。展覧会期以外は本館・新館には入ることができない

文・今村博幸 撮影・JUN