インペリアルビル(横浜・山下町)
retroism〜article167〜
装飾を省いたモダニズム建築。19世紀末から20世紀にかけて世界中で建てられた、時代の象徴でもある。その様式の建物が横浜・山下町に残る「インペリアルビル」だ。2011(平成23)年には、横浜市認定歴史的建造物に選定された。
階段の飾りには鉄製の飾りが規則正しく並んでいる。シンプルだが、気持ちを落ち着かせるデザインだ
ビルの前に立つ。どちらかというと無機質なファサードが目に飛び込んでくる。しかし、近づくにつれ、濃い茶色をした木製のいかにも重そうな扉と真鍮(しんちゅう)製の取手が有機的な印象を与える。建物の息遣いが確かに聞こえてくるのだ。
先に負けていたドイツ軍兵士たちが、本国へ帰れないまま住んでいた。手前には終戦直後、押し寄せたアメリカ進駐軍の車が止まっている
オーナーの上田正文さんが解説する。「関東大震災後の1930(昭和5)年に外国人用の長期滞在型のアパートメントホテルとして建てられました。横浜代表の復興建築という目的もありました」
真鍮(しんちゅう)の手すりがついた木製の扉が時代を感じさせる。結構重さもあって威厳のようなものを感じさせる
設計者は川崎鉄三(〜1932年?)。「実は川崎さんの生い立ちなど来歴については最近まで謎だったんですよ。ある学生が、大学の卒論を書くために東京工業大学まで行って調べてやっと少しだけわかったんです」。不思議な話ではある。
モダニズム建築というと、コンクリートと鉄とガラスを思い浮かべるが、階段の手すりには、アメリカから輸入した米松が使われているという。温かい雰囲気を感じさせる