レトロ建築探訪其ノ弐

あとがき

 産業革命以降、世界の状況は一変し建物の様相も大きく様変わりした。建築家たちは、近現代化という流れの中で、あらゆる可能性を模索しながら、試みを繰り返してきたのである。背景には工業技術の進歩があったが、建築基準法をはじめとする限られた条件の中で、どんなことをするのかといった、人間の創造力や発想、恣意(しい)までも結びつけ創作に励んだ。

 特に日本では、1956(昭和31)年に出された、経済白書の序文で宣言された「もはや戦後ではない」という言葉が、混沌(こんとん)としていた全ての世界が、新しい時代へと移っていく予感を端的に表していた。現実の細部を拾い上げれば、さまざまな問題は当然あったし、なくなることはないかもしれない。しかし、美しかったり、楽しかったり、面白かったりする事柄に向かって、経験したことのなかったことが起こると誰もが信じていた。

 街の景観を形づくるモダンな建物が、60〜70年代にかけて、都市部を中心にかなりのスピードで登場したのが一つの象徴だ。特に70年前後に台頭してきたメタボリズム活動は、目を見張るような斬新な形をした建造物の数々を生み出した。メタボリズムはもともと生物学用語から引用されたもので、簡単に言えば、社会や人々の暮らし、働き方に沿って、有機的に成長する都市や建築のこと。結果、形状は極めてユニークなものとなった。

 黒川紀章が設計した、今も銀座8丁目に残る「中銀カプセルタワービル」は、ひとつの好例だ。戦後から15年ほど経った昭和の中期頃、復興を果たしつつあった日本において建築家の心の中にあったのは、輝かしい未来を信じたある種の熱だ。それによって創造された建物の外観には、奇抜さと強烈な個性があふれている。

 おそらく、今現在同じような建物を造るのは難しいだろう。なぜなら、当時人々の前に見たこともない造形物として誕生した建築物は、実際に燃える炎のような強烈なエネルギーを当時の建築家がもっていたからこそ可能だったと思うからだ。

 今も残るそれらの建造物を前にして思うのは、当時の建築家たちが内に秘めていた、地面を隆起させるような激情でしかなし得なかったであろうということである。

文・今村博幸 撮影・JUN

 

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