見て 聞いて 触れて学ぶ地下鉄今昔物語

地下鉄博物館(東京・葛西)

retroism〜article36〜

 普段なにげなく乗っている地下鉄も、ちょっと俯瞰(ふかん)して見ると、ただ人を運ぶためだけのものではないことに気づく。命はもとより、人の暮らしを運び、楽しみ、時には悲しみや苦しみさえも運んできた。そんな思いに駆られるのは、その始まりにおいて幾重にも折り重なった先人たちの情熱や努力や英知に、目を見張らずにはいられないからだ。地下鉄は、彼らの残した掛け替えのない遺産であり、今も生き続ける宝なのである。

昭和初期の車内の風景が再現されている。着物に帽子というモボスタイルは、当時の流行を物語っている

 1986(昭和61)年に開館した「地下鉄博物館」の副館長・足立勝男さんが、優しい語り口で説明を始めた。「日本(東洋)最初の地下鉄が走ったのは、27(昭和2)年上野〜浅草間の2.2キロ。そこから全てが始まりました」

 鉄道が日本にもたらされたのは、言わずと知れた、文明開化の時、1872(明治5)年である。その後、馬車鉄道を経て現れたのが1903(明治36)年の品川〜新橋間を走る路面電車だった。「大正から昭和になると、人口が増加した東京では、自動車の急増とも相まって、まさにパンク状態になりました。必要とされたのが新たな鉄道でした」

地下鉄の父と呼ばれる早川徳次。彼の存在なしに、今の地下鉄はあり得ない

 そこで登場したのが、地下鉄の父と呼ばれる、早川徳次(のりつぐ)だ。この名前は決してシャレではない。とにかくこの男の発想は、奇想天外だった。地上が混雑しているなら、地下に電車を走らせればいいと考えたのである。もっとも彼のこの考えは、元ネタがある。世界最古であるロンドンの地下鉄だ。

 あらゆることは最初のひと転がりが重要であり大変である。彼が苦労したのは、まず資金繰りだった。調査を進めると、個人ではとても無理と悟り、会社を設立して金を調達。なんとか上野〜浅草間の地下鉄工事着工にこぎつける。しかし、この工事が難儀だった。工事をする道具がなかったのだ。あったのは、くい打ち機、コンクリートミキサー、ベルトコンベヤーぐらい。最も頼れるのは人力といった有り様で、土はツルハシで砕きシャベルですくった土砂をトロッコで運んだ。「トンネルを掘っている途中で、下水管の破裂や地盤が崩れるなどといった苦難が、何度もあったと聞いています。当時の人の苦労には本当に、頭が下がりますよ」と足立さんが頭(こうべ)を垂れた。

2017年に国重要文化財に指定されてから、普段は非公開となった。地下鉄が開通した12月30日前、7月の開館記念日、鉄道記念日、文化の日などに特別公開される  
 

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