レトロ散歩其の拾壱

大岡川〜野毛(横浜市中区)


retroism〜article103〜

横浜の母なる河・大岡川からスタート。港
へと
向かう河口そばにかる弁天橋付近で
は、横浜の新旧が同時に見ることができる

係留されている舟に近づいてみた。使い古されたが現役と思われるシブい感じのタグボートや作業舟などがひしめき合っている。ハマならではの原風景だ
河口から野毛へ向かう途中、戦後復興の一環として防火帯建築が建てられその多くがいまだに残っていた。関内から野毛へ向かう吉田町本通りのそれらの建物1階には、現在、バーやレストランなどが新たに入っていていい感じの雰囲気を醸し出している

大岡川沿って歩いていくと野毛に到着。ここは、神奈川におけるのんべえの聖地だ。戦後闇市から始まった街のかけらが随所で見られる
昭和中期の日本はまだ貧しかった。今では健康志向も相まって人気のホッピーだが、元々はビール代わりに喉を潤したのがホッピーだった。つまみはもちろんもつ煮込みだ

酔っ払いが肩を組んで歩く姿を見たのは久しぶりだ
った。ほほえましくもあり、遠い記憶を呼び覚ます
 光景だ。でもコロナ禍ではこれはダメです。絶対に!

(上)2階建ての飲み屋の集合体である「野毛都橋商店街ビル」。建てられたのは1964(昭和39)年。整然と並ぶ小さな店舗群からこぼれる光に酔客が吸い寄せられる(下)同ビルは、中区宮川町にあり大岡川に沿って横たわる。実際にここに立つと、この角度から眺める景色の中に見える「角海老」のネオンは、遊んでいた若かりし頃の幻影を見る思い?

野毛には、いわゆる大手チェーンの飲み屋はほとんどない。いい意味での枯れた感が街の魅力でもあるのだ

ベルギービールの専門店の店頭には、ホコリをかぶった古いビール瓶が化石のよう。店内では、ライブが行われていて、ジャズが漏れ聞こえていた。シブいっ!

理容室と思いきや、「日の出理容院」という名の
バーだった。まぎらわしいことこの上ない。古い
 店を居抜きで借りたらしい。店内も昭和そのものだ

川沿いで発見した一足の靴。さまざまなストーリーを想起させる風景に、カメラマンが思わずシャッターを押した。聞けば、労働者が濡れた靴を干しているとのことだった。ホっ!

川沿いに噴き出る湧き水を見つけた。ペットボトルを何
本も持ったおじさんが水を汲ん(く)でいた。まさか飲
料用?と思いきや、「飼ってる金魚用だよ」と彼は笑った

とんと聞かなくなった往年のヘアスタイル名が列挙さ
れた理容室の看板は、思わず二度見。『「アイロンパ
          ーマ」と「アイパー」は同じだよ』と心の中で突っ込んだ  


多くの人があたり構わず喫煙し、ベビースモーカーやチェーンスモーカーが大手を振るっていた昭和の時代。この大きさでこの形の灰皿は、昭和の家庭に必ず一つは常備されていた。そういえばウチにもあったっけ。現物は九谷焼でかなり値が張るが……

絶妙の甘さかつ膨らみのある甘納豆の味に震える。創業は1927(昭和2)年。アナログなはかりを使うが、店のおばちゃんは一発でこちらの欲しい分量を袋に詰めた。さすがプロだねぇ

 

あとがき

 街には顔がいくつもある。横浜も例外ではない。横浜みなとみらい21や元町に代表されるおしゃれな街のイメージをもつ人も多いと思われるが、少しくすんだような、セピア色が似合う昭和の香りはいまだに消えてはいない。むしろそちらのほうがメインである。そんな情景を見事に捉えている歌がある。大御所、五木ひろしが1971(昭和46)年に歌った「よこはまたそがれ」だ。ほぼ単語だけで構成された歌詞は極めて秀逸で、横浜という街の本質をよく表現していると、改めて思わされるのだ。

 まず第一に、すてきなのは、1番の歌詞の中盤「ブルース、口笛、女の涙♪」の三つのキーワードだ。横浜は、日本におけるバーの発祥の地である。何十年もの時を刻んだ老舗のカウンターを包む音楽はさまざまだが、ジャズとブルースが比較的多い。シブいブルースを背に飲むウイスキーは、最大の醍醐味(だいごみ)である。「口笛」で街を切り取った作詞家の山口洋子氏の眼力には舌を巻く。おそらく彼女は、マドロス(水夫や船乗り)なんかを意識していたのかもしれない。しかし実際に歩いている、または自転車を漕いでいるおじさん(あくまでおじさん、若者は少ない)の中には、口笛を吹いている人も少なくない。独断ではあるが、少なくとも、他の街よりは多いと思う。

 さらに2番の歌詞は、サビの前まで、もともと戦後の闇市から始まったとされる野毛の飲み屋街をほうふつとさせる。「裏町 スナック 酔えないお酒 ゆきずり うそつき 流しのギター♪」。今の野毛は、商店街店主たちの努力で、若物たちにも人気の小奇麗な飲み屋街に変ぼうした。しかし一昔前は、まさにこの歌詞のような場所だった。ゆきずりの恋が至るところで見られたし、そのうわさはどこの店でも聞かれた。「どこぞの誰々が、誰々と『兄弟』」などという話が流れることがあったが、ことさらそれを問題視する無粋な人間は飲んでいなかったし、自慢話にするやぼなやからもいなかった。つまり、良くも悪くも酔客が全員大人だったのだ。うそつきもうじゃうじゃいた。特に、武勇伝的な話は、ほとんどがうそだったが、酒のさかなとして聞くぶんには、十分楽しかった。ギター一本で、客の要望に応える流しもいたと聞く。彼らの爪弾くギターや歌声が、のんべえの心を癒やし、勇気づけ、励ましていたに違いない。

 もう一つ野毛の自慢は、約600件とも言われる飲み屋の中に、大手チェーン店がほとんどないことだ。創業40、50年という居酒屋や焼き鳥屋が当たり前のように点在している。個人店は、人間味や人情味にあふれていた。横浜気質といえばそれまでだが、どこの店を訪れても店のおやじやおかみとすぐに仲良くなれる。かつてあった人同士の付き合いが息づいているのだ。

 川を上流に向かって上れば、ちょいと怖い福富町で、韓国料理店街や風俗街もいまだ元気。時代に取り残された理容室や老舗の甘納豆屋なども健在だ。 

 大岡川沿いから野毛、伊勢佐木町周辺には、拭いきれない過去の息吹が脈々と生き続けている。

文・今村博幸 撮影・JUN

 

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