消えゆく正月の風習と非現実的な日常の光景

 「暦の上で春になる立春の前に、外で空を見上げると健康にいい」と言われ、凧を正月に揚げるようになったのが始まりという説や、一年のはじめに、願い事を凧に乗せて天に届けるという意味もあるという。元日は家族と家で過ごすが、1月3日ともなると家にいるのにも飽きてくる。ふらっと空き地へ向かうと、学校の友達が何人かいて、自作の凧を見せ合った。実際に作るのは年末で、新年を迎えるにあたって必ずやっておくべき「子供の仕事」だった。祖父や父親に、手伝ってもらいながら、竹から骨を削り出すところから始まる。それらを組んで骨組みを作り、半紙で覆い、尾(しっぽ)をつければ出来上がり。計算上はうまく揚がるはずだと思っていても、実際に飛ばすには微調整が必要だった。そんな作業全てが、祖父や父親とのコミュニケーションそのものだった。普段、離れて住んでいる祖父や仕事で忙しい父親と、暮れに行うこの作業に心弾ませたものだ。よく晴れた寒空へ向かって誰よりも高く揚がった時の満足感や高揚感は他ではなかなか得られない。思ったとおりに凧が揚がると、子供ながらに「今年はいいことが起こるに違いない」とワクワクしたものだった。

子供たちの夢をのせて舞い上がる凧は、めでたい正月に欠かせなかった

 今は、ゲームやネットなど他に楽しいことがたくさんある。いまさら、古臭いものを求める必要ないのかもしれない。正月に思うのは、かつては非現実的な日常があちこちに散らばっていた、ということ。古臭いものを必要以上に求めなくてもいいが、正月に代表されるこの非現実的な期間がたまらなくいとおしく思えるのが「三が日」でもある。

 受け継がれてきた風習が時代とともに変わるのは、仕方のないことだ。しかし、正月という大きな区切りに、当然のように行われてきたさまざまな風習や習慣は、できれば残ってほしいと切に願う。

 今年も、「レトロイズム」をよろしくお願いいたします。  

文・今村博幸

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする