消えゆく正月の風習と非現実的な日常の光景

コラム其の拾弐(特別編)

retroism〜article88〜

 正月の風景には、懐かしいものがたくさんあった。平成、令和と時代が移ろい、それらは年を追うごとに姿を消しつつある。

 住宅街を歩けば、多くの家には門松が飾られていた。枝振りの良い一対の松にウラジロとゆずり葉、半紙を切った人形(紙垂=しで)が付いた輪飾りがぶら下げられていた。比較的立派な門構えの家には、3本の竹のまわりに豪華に松をあしらったぜいたくな門松が鎮座していた。(現在これが見られるのは、大きな会社やホテルの入り口ぐらいだ)。玄関正面の上部には玉飾り。しめ縄を輪の形に結んだものに紅白の締め、エビ、昆布など縁起のいいものをあしらう。昭和40年代ぐらいまでは、地元の鳶(とび)職人が手作りでこしらえていた。最近は、今風のものが、東急ハンズやAmazonなどでも売られているが、風格は昔のものにはかなわない。

門松と神様は、日本の年始においてまごうことなき象徴だ

 とんと見られなくなったのは、車のフロントグリルに付けるお飾りだ。青玉と呼ばれる紙とナイロンを使ったものが主流だった。これら全ては、1月7日の松の内でお役御免となる。そんな日本の正月の風景は、忘却の彼方へと消えつつある。「古臭い」習慣である日本の正月の風景が見られなくなったのは、時代が変わったことを意味している。

 1月1日は家族でおせちを食べて過ごした。親戚が集まり、大人たちは酒を飲んで陽気に語らい、子どもたちは福笑いやすごろく、かるたなどに興じて歓声を上げた。なぜそれらが正月の遊びなのかは、正確には分かっていないらしい。しかし素直に考えれば、大勢でやったほうが楽しいこれらの遊びは、人が集まる正月にふさわしいと言える。

正月早々、腹を抱えて笑えたのが福笑
い。どんな芸人の漫才よりも面白かった

 凧(たこ)揚げは、日本の古き良き正月の風物詩だった。ルーツは、江戸末期まで遡ると言うが、今を生きる我々にとって、懐かしさとともに思い出す子供のころの一大イベントでもあった。

 「暦の上で春になる立春の前に、外で空を見上げると健康にいい」と言われ、凧を正月に揚げるようになったのが始まりという説や、一年のはじめに、願い事を凧に乗せて天に届けるという意味もあるという。元日は家族と家で過ごすが、1月3日ともなると家にいるのにも飽きてくる。ふらっと空き地へ向かうと、学校の友達が何人かいて、自作の凧を見せ合った。実際に作るのは年末で、新年を迎えるにあたって必ずやっておくべき「子供の仕事」だった。祖父や父親に、手伝ってもらいながら、竹から骨を削り出すところから始まる。それらを組んで骨組みを作り、半紙で覆い、尾(しっぽ)をつければ出来上がり。計算上はうまく揚がるはずだと思っていても、実際に飛ばすには微調整が必要だった。そんな作業全てが、祖父や父親とのコミュニケーションそのものだった。普段、離れて住んでいる祖父や仕事で忙しい父親と、暮れに行うこの作業に心弾ませたものだ。よく晴れた寒空へ向かって誰よりも高く揚がった時の満足感や高揚感は他ではなかなか得られない。思ったとおりに凧が揚がると、子供ながらに「今年はいいことが起こるに違いない」とワクワクしたものだった。

子供たちの夢をのせて舞い上がる凧は、めでたい正月に欠かせなかった

 今は、ゲームやネットなど他に楽しいことがたくさんある。いまさら、古臭いものを求める必要ないのかもしれない。正月に思うのは、かつては非現実的な日常があちこちに散らばっていた、ということ。古臭いものを必要以上に求めなくてもいいが、正月に代表されるこの非現実的な期間がたまらなくいとおしく思えるのが「三が日」でもある。

 受け継がれてきた風習が時代とともに変わるのは、仕方のないことだ。しかし、正月という大きな区切りに、当然のように行われてきたさまざまな風習や習慣は、できれば残ってほしいと切に願う。

 今年も、「レトロイズム」をよろしくお願いいたします。  

文・今村博幸

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