同潤会代官山アパートを復元 団地の歴史を後世に

 同潤会のアパートは、洋風でおしゃれなデザインにもこだわっていた。特に代官山アパートは場所柄もあり先進的だった。「窓と窓の間には、レリーフも飾られていたんですよ」。UR都市機構(以下UR)広報室広報課の古檜山祥伍さんが説明する。欧米の影響を受けた建物の配置は、外観や内装、備品に至るまで、日本の街を変えていく礎(いしずえ)のひとつになる。古檜山さんが続ける。「大きな道路を意識して建物の位置を決めていることがうかがえます。憩いの場として中庭も意識的に設けられていました。住民だけでなく、地域の人たちが支え合う状況まで創出しているのです」

 代官山アパートには、独身用と世帯用の2種類のタイプが用意された。食堂や共同浴場も備えられていた。さらに、娯楽室もあって、囲碁や将棋、卓球場もあったという。「独身用は、今でいうワンルームのような感じですが、備え付けのベッドが付いていました。トイレ、台所、風呂は部屋の中にはなく、トイレは各階共用、共同浴場もありました。一方、世帯用の方は和室が2部屋、トイレと台所も完備されていました」。鉄筋コンクリートで密閉性が高いので、床には厚いコルク板が敷かれ、その上にゴザを敷いて畳として使っていた。「外観が洋風だったため、家具も洋風にしたいという住人のために、重い洋家具を置いても沈み込まないための工夫でした」

同潤会代官山アパートの独身用の部屋。右に見えるのは、
作りつけのベッドだ。下は物置になっている。機能的だ

床に敷かれたコルクがはっきりと見える。玄関脇の部屋の入り口のゴザは擦り切れていた

天井と繋がっている部分には、ソケットがつ
いていて、そこから他の場所へと電気を送る
風の通りをよくする無双窓。冷房などない時代、日本建築における工夫

色が変わった扇風機が昔を思い出させる。外の廊下からは中
 が見える。当時はカーテンなどで、目隠しをしていたはずだ

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