レトロ散歩 其ノ肆

あとがき

  「少し前までは、わりかしたくさん残っていた看板建築も、ずいぶん減ってるの。寂しい気もするけど、時代だからしょうがないわよね」

 数年前に閉店した額縁の店「優美堂」を撮影していると、近所で店を営むというの品のいい初老の婦人が話しかけてきた。彼女らの言葉の端々には、神保町という街に対する誇りと、それらが失われていく寂しさが、漂っている。ずいぶん前の話だが、今も残る老舗喫茶店の女主人と話している時にも同じ思いに駆られた。彼女が寂しそうに言った言葉が今でも忘れられない。

「昔は神保町にも人情だとかがちゃんと残っていたのよ。人と人との関わりが変わっちゃったのかしらね」。それでも、いまだに見ず知らずで怪しい風ぼう?の我々に気軽に話しかけてくれる。少数かもしれないが、そんな人懐っこさがしっかりと残っていることに愁眉(しゅうび)を開いた。

 神保町が本の街として発展したのは、大正から昭和初期にかけてだと言われている。千代田区史によれば、「神田に所在する私立大学の拡張……一般に中間層、知識階級の大量創出、その上に立つ出版業の発展」を促すためだった。すなわち、専修大学、中央大学、明治大学、日本大学などの大学が点在していた。学生たちが、教科書や書物を必要とし、それらを売る店の需要が急速に高まった。当時の学生のほとんどは貧乏だったため、先輩たちが使った古本を求めたという構図だ。

 いまだ健在の「古本屋」は建物もそのままに、神保町を形作っている。実際に歩くと、合間に懐かしさがあふれ出す商店や看板建築の数々が目に留まり、思わず足を止めてしまうのだ。

 古本と、かつての街並みが随所に残る面白さ。その2つが神保町の真の魅力である、と断言したい。

文・今村博幸 撮影・SHIN

※新型コロナウイルス感染拡大で、対面取材を自粛しております。当面、特別編や路地裏を歩くを配信する予定です。ご了承ください。

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