100本目の記事リリースにあたって

雑誌の涙と編集者のプライド

 レトロイズムは、長年「紙媒体」に関わってきた編集者とカメラマン、そして私の3人が中心となって製作されている。そんな我々にとって、ここ10年ほど(もう20年ぐらいか)続いていている雑誌の休刊(実質上の廃刊)に対して、無念の気持ちしかない。特にグラフ誌に関しては、衰退の一途をたどっていると言わざるを得ないだろう。新聞社系の「アサヒグラフ」や「毎日グラフ」といった老舗グラフ誌が消えて久しい。加えて決定的な事件だったのは、新潮社の「FOCUS」や平凡社「太陽」の休刊だったと思う。実質上の、「グラフ誌の終焉(しゅうえん)」を告げた出来事だった。そして昨年7月、歴史ある雑誌が一つ姿を消した。「アサヒカメラ」である。これまでも写真雑誌の休刊が相次いでいたが、「ついにアサヒカメラもか」というファンのため息が聞こえてくるようだ。

 雑誌の休刊については、時代の流れの中で不可避なのかもしれない。デジタル媒体で、見た目がきれいなだけの写真は、いくらでも見られる。最近のデジタルカメラの性能は、飛躍的と言っていいほどの進化を遂げ、フィルムカメラのような画像を作り出すことすら可能となった。しかしである。美しい写真は、紙に焼いたものを見たいという人は、まだまだ健在だと信じたい。

 アサヒカメラの休刊の原因が、雑誌が売れない「時代」という理由だけではないと、最終号を見た私は感じた。編集者の質の問題ではないかと思ったのだ。もっと言えば、雑誌のクオリティーが下がっているのではないかと。雑誌が売れないという出版社の嘆きは、買わない人が増えたのではなく、製作者側の質の低下に起因しているのではあるまいか。私がそう思わざるを得なかった原稿について、書かせてほしい。

 最終号では、大御所のカメラマンたちが「私とアサヒカメラ」というタイトルで手記を寄せていた。その中の一人に写真家・荒木経惟(アラーキー)がいた。文章の最後に(談)と書いてあるので聞き書きである。主語が「私」になっていたことにものすごい違和感を感じた。なぜなら、私が知る限り、アラーキーは自分のことを「私」とは言わないからだ。少なくとも聞いたことがない。耳にするのは「アタシ」である。念のため、You Tubeでアラーキーが話している動画を数十本見てみたが、ほぼ「アタシ」と言っていた(ごくまれに「俺」)。何よりも、アラーキーを知る読者にとって、不自然に感じるに違いない。この記事において、誰が話しているか(または誰が書いているか)というリアリティーは重要ではないと判断したのだろうか。むしろ雑誌にとって、一番大切なのは、そんなリアリティーであると私は思う。製作者(編集者)の意図は何だったのかぜひ知りたい。

 私は編集者のチェックが入ったのかも疑わしいと思っている。もし私が編集者だったら、「私」と表記したライターと話し合い、編集者権限で「アタシ」と間違いなく変える。仮にそこにチェックが入っていなかったとするならば、編集作業の怠慢、もしくは編集者が無知(カメラ雑誌の編集者が知らないとは思えないが)だ。好意的に解釈するのならば、「私とアサヒカメラ」というタイトルに合わせて、「アタシを私」と表記したのかもしれない。とはいえ、相手は個性あふれる鬼才アラーキーだ。故にここはあえて「アタシ」とすべきだったと言いたい。果たしてそんな無味乾燥な雑誌を人々は買うだろうか? 雑誌が売れなくなった根本の理由は、実はそんなところに起因しているのではないかと思った。編集現場で実際に何があったかを私は確認していない。にもかかわらず、ここまで断言するのは、大変失礼なことは百も承知だ。残念ながら、雑誌の「ありかた」や矜持(きょうじ)も、すでに失われてしまったものの一つと言えそうだ。

コメント

  1. 笠井光一 より:

    100回目ですか、あっという間な気がします。
    おめでとうございます。

    これからも楽しみにしています。

    • SHIN より:

      レトロイズム〜retroism visiting old, learn new〜をご愛読いただきありがとうございます。
      おかげさまで、100本になりました。さらに、200、300本目指して研さんを重ねていきたいと思います。
      これからもレトロイズムをよろしくお願いします。