
向島の置屋イメージ⁉︎ 昭和の味と人情にほろ酔い
「最初は継ぐつもりはありませんでした。でも、病に倒れた父親がボソッと言った『何とかやってもらえねーかな〜』って言葉に心が動いちゃって」
visiting old, learn new
「最初は継ぐつもりはありませんでした。でも、病に倒れた父親がボソッと言った『何とかやってもらえねーかな〜』って言葉に心が動いちゃって」
巣鴨は平成初期までちょっとした歓楽街だった。洋食屋「フクノヤ」主人・小黒准司さんが、当時の様子を伝える。「以前は、うちの店がある一帯は、一般の人が歩く場所ではありませんでした。ピンクサロンのメッカで、数十件はありましたね」
子供の頃、どんなものにワクワクしただろう。憎き敵をやっつけるウルトラマンや仮面ライダー、野球が好きなら王貞治や長嶋茂雄、漫画・アニメならあしたのジョーや巨人の星などなど、気持ちを高揚させるモノは人それぞれあった。食べ物に関してはやはり洋食に勝るものはない。すしやうなぎに心弾ませる子供はあまりいないのではないか。彼らはスッポン鍋に、「わーい」と声を上げないし、懐石料理や精進料理を本気で食べたいとは思わない。ラーメンやチャーハンは子供ながらにうれしいが、ウキウキ感はそれほどない。
この世でそう多くは存在しない、真実の一つが、老舗の洋食屋「カレーの店 タカサゴ」(以下タカサゴ)にはある。