「企業も、そろばんの達者な人を受け入れようと躍起になりました。その能力が低い社員たちに対しては講習会、研修会を提供し、競技会なども開催して能力の向上を図ったんです。企業が計算力のある人材を養成する担い手になりました」。やがて、数(すう)に強い人、概算がわかる人は、ますます重宝されるようになっていった。そろばんによって、日本人の「数感覚」は飛躍的に向上を遂げたのである。
そろばんに親しむ、小僧たちの姿を暖かく表現した人形も陳列。ほっこりする
また、昭和の初めまで続いていた戦争においても、計算力は不可欠な能力だった。「鉄砲を上手に撃てる人ばかりじゃダメなんですよ。何日ここに滞在して、何百人の兵隊たちが飯を食い、ということを考慮に入れた緻密な計算が勝利を左右したわけです」
その中心にあったのが、そろばんであった。
中央にそろばんを配した、遊び心満点のカルトン(キャッシュトレー)。日本人の洒落(しゃれ)っ気が如実に表れている
昭和20年、敗戦によってうちひしがれていた日本人に、希望を与え笑顔を届けたのもそろばんだった。
「昭和21年のことでした。アメリカ陸軍二等兵トーマス・N・ウッドが電子計算機を使い、東京貯金局の社員であった松崎喜義がそろばんで迎え打つ、と言う計算試合が行われました。掛け算、割り算、見取り算、伝票算などで勝負をして、4対1で日本が勝ったのです」。東京・銀座の宝塚劇場を接収して改称したアーニー・パイル劇場が会場だったのも、皮肉な巡り合わせと言える。試合の模様は、作家・犬飼六岐が小説「ソロバン・キッド」で鮮やかに描いている。一読してみるのも一興だろう。
ぐるりと巻いてコンパクトに持ち運べる。さぞかし外出先で大活躍したことだろう
小学校時代の記憶に思いを巡らせると、そろばんの存在感は大きい。背中のランドセルから突き出たり、ぶら下がっていたりした光景が、瞼(まぶた)に焼きついている人も少なくないはずだ。授業もあった。昭和13年から、小学校の授業でそろばんが義務付けられたからである。
二つ折りそろばん。携帯用として重宝した。日本人のアイディアの豊かさに改めて驚かされる
「それから、学習指導要領は何度も変わりましたが、現在に至るまで、そろばんの文字が消えたことは一度もありません」。机で前かがみになりながら珠を弾く児童たちの姿が全国どこの学校にもあったし、教室には珠を弾く音が響いていた。谷さんは、その音を美しいと断言する。
橋型そろばん。実用性はなく、あくまで飾りだ