「昭和100年」に当たり

元気がなくなっていく日本を憂う

 戦後の「高度経済成長期」は、敗戦を契機に全国民が同じ方向を向いていた時代だった。日本経済が右肩上がりの成長を続け、国中に活力がみなぎっていた。バブル期になると、さらに拍車がかかり、まばゆいくらいにギラギラと輝いていた時期だったと言えよう。人と人、社会とのコミュニケーションも活発だった。近年、その頃に比べると日本に元気がなくなってきたと感じる。この国は一体どこに向かっているのだろうか?とさえ思うこともある。

 学者の中でも最も多くの論文や本を書いた一人と言われる世界的歴史家のアーノルド・J・トインビーは言った。国が滅びる要因は三つある。「理想を失った時」「歴史を失ったとき」「物事を数量で見るようになったとき」である。そうならないためにも、令和に生きる我々が忘れてはいけないのは、まさに昭和ではないだろうか。

 全てが素晴らしいとは言わない。昭和にあった、公共の場所には吸い殻が散乱し、公衆トイレも汚かった。野良犬や道端で立ち小便する輩(やから)も多く、街全体も清潔だったとは言い難かった。昭和を知っている筆者にとって、平成も令和も奇麗過ぎて陳腐にさえ見える。それについては、古い(ただし魅力的な)昭和を経験してきたからだと切り捨てられても仕方ないと思いながらこのフレーズを書いている。

 進化の過程で、改悪と言っていいものも中にはある。一つだけ書いておきたいのは、人と人、または人と社会との関係だ。デジタル化が進み、A I(人工知能)の台頭などもあり、人の入り込む余地がだんだんと狭められている気がする。だからこそ、私たちレトロイズムは、「昭和」を残すことを大切にしたいと切に願う。

 1月も終わろうとしていますが、今年もよろしくお願い申し上げる次第です。

文・今村博幸


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