魑魅魍魎が跋扈していたわが青春のゴールデン街

 ゲイバーもちらほら存在していた。ゴールデン街の奥の深さは、これらの店の存在にあったと言って過言ではないだろう。そして、ゲイのママたちが吐露する言葉には、人生の深みを感じずにはいられなかった。

 「トパーズ」は中でも老舗だった(現在は閉店)。「本当はみんな寂しいいんだと思うの、ここにくれば気取らずに飲めるじゃない」。「みんな同じ。何もかも脱いで裸の気持ちでしゃべれるからだと思うのよ」

 10代の頃にゲイに目覚めた夢路さん(18年12月に急死)の店が「ポプラ」だ。ゲイであるのと同時に芸も一流。芝居や歌のレッスンを真面目にこなしてきたからだ。その歌声は背筋が凍るほど美しかった。思わず目をつむり聴き入ってしまうほどである。「いくら男が化粧して女ですと言ったところで、ゲイボーイはゲイボーイ」と言う割り切った覚悟が夢路さんを支えている気がした。

 馳さんがそうであるように、作家に多大な影響をこの街は与えている。佐木隆三さんは、自信を持ってこう言っている。「街が僕自身を変え、僕の作風を変えました」佐木さんの小説のテーマは、猥雑(わいざつ)な場所で起こる犯罪や事件が多い。この街の魅力もまちがいなくその猥雑さですよ」。直木賞を受賞した時、純文学志向だった作品が、直木賞系のものになったことに、佐木さん自身が驚いたと言う。

 一般にはあまり知られていないが、マレンコフ(加藤武男)さんも、この街では超有名人だった。今ではほとんど見かけないギター一本で勝負する「流し」の歌手だった。フォークソング全盛の頃には、あの「中津川フォークジャンボリー」に岡林信康さんらと出演した経験もある。流しはまさに昭和のカラオケだ。違うところは、「人間」が伴奏を務めるところ。だから、人と人がつながり、ふれあいが生まれる。本質的には全く違うと言っていいだろう。当時存在した人同士がもつれあうよう​​な関係で成り立っている場所だとすれば、流しは、人と人をつなぐ細い糸に相当すると思う。

現在では、雑多な雰囲気を求めて多くの外国人観光客でにぎわう。往時を知らない若者の姿も