艶やかで風雅な空間で夢見心地な1日を味わう

  結婚式の様子が変わったのも、細川の功績が少なからずある。2号館完成と時を同じくして、結婚式場がお目見えした。昭和の初めには、近くの神社で式を挙げ、料亭や自宅で披露宴をするのが一般的だった。しかし旧目黒雅叙園では、結婚式と披露宴を同じ会場で執り行えるようになり、その画期的なシステムに人々は驚かされ評判になった。

中華料理「旬遊紀」の天井に施された花笠の彫刻。
昭和初期から大切に保存され受け継がれたものだ

 「庶民に寄り添った場所をとことん目指していたんです。『お客様に楽しんでいただきたい』というおもてなしの精神が創業者である細川の基本概念でもありました」。細川は、本物の味を特別な人だけでなく、一般の人や家族連れでも気軽に訪れてもらえるような『料亭』を目指した。一つの例が、メニューの導入だった。料理に料金を明示したメニューを用意したのだ。多い時には、1日に8000人もの客が来館した記録も残っている。

日本料理「渡風亭(とふうてい)」。縁側には趣のある丸提灯(ちょうちん)がかけられている

 88(同63)年、頻繁に氾濫する目黒川がすぐそばに流れていたせいで、都市整備計画に伴い建物の移動を余儀なくされ、伝統と現代が絶妙に融合するホテルへと生まれ変わった。建物は改装されたが、内部に描かれた絵は大切に保存されたという。東京都指定有形文化財「百段階段」だけはその改修工事を免れ、当時のまま残された、ホテル雅叙園東京の、歴史を語るシンボル的存在になった。

(上)東京都指定有形文化財「百段階段」右側に部屋が並ぶ。左側の窓枠の細工は、扇だったりコウモリをモチーフにしたもの(下)99段までしかないのは、「百というのが完璧な数字なので、へりくだり、今後の発展を願ったという縁起担ぎ的なものです」と旭岡さん

コメント

  1. aki より:

    この様な書込大変失礼致します。日本も当事国となる台湾有事を前に 国民の分断を煽る国内の反日の危険性をどうか一人でも多くの方に知って頂きたいです。

    今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。

    世論誘導が生んだ民主党政権、公約反故から、中韓を利す為の超円高誘導による日本企業や経済の衰退、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝や、3万件の機密漏洩など韓国への利益誘導に働き、日本は破綻寸前でした。

    今も内外から中韓の侵略が進む中、あの時彼らが日本をいかに危険な状態に陥れ、一度の失敗がどれだけ後遺症を与えたか、どうか読んで頂きたいです。
    https://88moshi.hatenablog.com/
    メディアに踊らされず、掛け替えないこの日本を知り守る機になる事を願います。