愛情たっぷり 昭和の洋食に舌鼓 驚きの価格設定も
巣鴨は平成初期までちょっとした歓楽街だった。洋食屋「フクノヤ」主人・小黒准司さんが、当時の様子を伝える。「以前は、うちの店がある一帯は、一般の人が歩く場所ではありませんでした。ピンクサロンのメッカで、数十件はありましたね」
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巣鴨は平成初期までちょっとした歓楽街だった。洋食屋「フクノヤ」主人・小黒准司さんが、当時の様子を伝える。「以前は、うちの店がある一帯は、一般の人が歩く場所ではありませんでした。ピンクサロンのメッカで、数十件はありましたね」
子供の頃、どんなものにワクワクしただろう。憎き敵をやっつけるウルトラマンや仮面ライダー、野球が好きなら王貞治や長嶋茂雄、漫画・アニメならあしたのジョーや巨人の星などなど、気持ちを高揚させるモノは人それぞれあった。食べ物に関してはやはり洋食に勝るものはない。すしやうなぎに心弾ませる子供はあまりいないのではないか。彼らはスッポン鍋に、「わーい」と声を上げないし、懐石料理や精進料理を本気で食べたいとは思わない。ラーメンやチャーハンは子供ながらにうれしいが、ウキウキ感はそれほどない。
お世辞にもきれいとは言えない外観。特に、「かどや」と大きく書かれた入り口上部は、ところどころ塗装が剥がれたままになっている。
「浜志“まん」の素朴な洋菓子は、1957(昭和32)年に始まり、その味は今も変わってない。つまり、60年代のケーキを作り続けていることになる。だからといって、古さは全く感じない。舌と心に訴えかけてくるのは、素朴な懐かしさである。
この世でそう多くは存在しない、真実の一つが、老舗の洋食屋「カレーの店 タカサゴ」(以下タカサゴ)にはある。