商店街から外れると、古民家が点在し、文化的な職業に就いていた80〜90歳代の年配者も少なくない。それだけ長く生きていれば、あらゆる品々がたんすや押し入れの中に隠れているものだ。彼らが店にそれらを売りにくる。店主の神山豪さんが人懐っこい笑顔をこちらに向けた。


(上)ありとあらゆる小物や食器などが所狭しと並ぶ店内。注意して歩かないと店に迷惑をかけることになるので注意!(下)今の下北沢は、外国人の姿が非常に目立つ。日本の骨董にも当然、興味津々だ
「ご近所に、お茶の先生がいらっしゃったり、そんな方をはじめとして、70年代の食器や雑貨など、箱に入ったままのまっさらな形でよく持ち込まれるんですよ」。使う機会は失われているが、捨てるのは気がひける古道具が、令和にも通用する価値を競うように輝いていた。「当時の食器や雑貨って使ってくださる方がいるのなら、引き継ぎたいと思う気持ちが僕にも、そして持ち込む人にもあるからです」
お行儀よく並ぶビクターのフォックス・テリア。首を傾けているのは、音楽を熱心に聴いているからだと筆者は信じてやまない
元々神山さんの父である忠士さんが表参道あたりで、露天商として雑貨を売り始めたのが原点である。一説によると、忠士さんは「露店古物商」の先駆けとも呼ばれる人物だったという。神山さんは、セピア色になった忠士さんの写真を優しく手に乗せて見せてくれた。鼻筋が通り、彫りの深い顔つきは日本人離れして「男前」という表現がぴったりの顔立ちである。
どデカイやかんとこけしやひな人形の共演。思わず目に入ってしまう光景だ
「山の中にある母方の田舎に最初に行った時、住人から、『外国人が来た!』と驚かれたらしいですよ」と神山さんは笑う。ハンサムな骨董フリークとでも言ったらピッタリ来そうな風貌だ。忠士さんの生業は、神田のオーダースーツ店に10代半ばから勤め、サンプル生地を幾つも担いでいろんな会社に出向き、注文を取ってくる営業から始まる。その頃から、大井町の骨董屋「時代屋」などにも出入りするようになった。「父も若い頃から骨董品が好きだったことは確かですね」
よくぞ残っていたと感心するジュースの瓶の数々は、神々しくさえある