月光社(東京・荻窪)
retroism~article268〜
父から子へと受け継がれた感性を残しながらひっそり佇(たたず)む東京・荻窪の「月光社」。無骨な店構えに釣られて引き戸を開けると、中古レコードが放つ独特のオーラが店中に漂っていた。
紙に包まれたレコードの数々。かつて持っていたはずなのに、ジャケットの絵柄を忘れていたら、紙をはがした瞬間に、昔の友達に会った気になれる
1937(昭和12)年に創業した月光社は、現店主の高橋祐幹さんの父親である仁さんが67(同38)年に創業者から受け継ぎ、現在に至っている。だから高橋さんはまさに音楽に囲まれて生まれ育った。生活の一部でもあったし今でもそれは変わらない。
「まあ、家業がレコード屋ですから当然と言えば当然ですよね」。同時に、クラシックを愛する父親に影響を受けてきた。「僕にとって、音楽とレコードの先生って言いってもいいのかもしれません。結構うるさかったんですよ。『ロックなんか聴くな』と」。どうせロック聴くならディープ・パープルじゃなくて、レッド・ツッペリンにしろ、と言われた。確かに、後者の方が、クラシック的なフレーズが目立っていたことは確かだ。「E L P(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)も勧めていましたね」。その頃プログレと呼ばれていた音楽の代表的なグループだったので、理にかなっている。
井上陽水、加藤登紀子まであるオールジャンルだが、原点はクラシックだ
基本はやはりクラシックだったが、高橋さんの音楽に対する欲求は、当然のようにそれだけにとどまることはなかった。「僕の中にある『音楽感』とか『レコード感』が10とすれば、父母からの影響は2ぐらい。あとは、ラジオや中学生の頃組んでいたバンド仲間や友達のからのものでしたね。父親にバレないように、こっそり聴いていました」。しかし、それは父親の勘違いだと、高橋さんは言う。「リッチー・ブラックモアの生み出すフレーズをじっくり聴けば、クラシックをリスペクトしていることがわかります。彼はチェロも弾くし、尊敬しているのは(ヨハン・ゼバスチャン)バッハと明言していますからね」。高橋さんは、言葉を選びながら続ける。「おそらく父が嫌っていたのは、『初期衝動』や『一瞬の血の沸騰』のようなものを前面に押し出しただけのロックだったと思います」知り合いからもらったJBLのスピーカー。店内はジャンルを問わず心地よい音楽が流れる。時にはクラシックがかかることも