夢と憧れが詰まった野球盤に興奮した遠き日々

 ボウリングも子どもたちの心をとらえた。当時、ボウリング自体がブームであり、老若男女みんなが夢中になった。中山律子や須田開代子などのスター選手も現れ、その人気はアイドル並みと言っていいほどだった。特に、中山が起用されたシャンプーで流れた「律子さん、律子さん、さわやか律子さん〜」は、今でも耳に残っている中高年は多いのではないか。

 初期の頃のモデルでは、中山律子の写真がデカデカと箱の正面に写っていた「パーフェクトボーリング」(71年)が、人気を博した。ボールを投げる瞬間のポーズをとったボーラーの角度を決め、ピンに向かって球を送り出す。何度やっても、正確な方向に投げ出すことのできない難しさがあった。無段階で角度を決めるので、いいスコアを出すために何度も練習を重ねる。スプリットが残ろうものなら、スペアは望めなかった。もちろんストライクを取るのは経験が必要だった。難しかったのは、使う球がパチンコと同じように、まんまるに設計されていなかったせいかもしれない。しかし、研究と研鑽によって、ボールの癖も分かり出し、ハイスコアを叩き出すことができるようになる。上達は誰にでも可能だったのだ。消しゴム製のボールを6段変速付きペンで飛ばすボウ
リングゲーム「あそぼうぐ ストライクボウリング」