夢と憧れが詰まった野球盤に興奮した遠き日々

コラム其ノ拾肆(特別編)

retroism〜article240〜

 1960年代から70年にかけて、子どもたちを熱狂させたゲームが次々と発売された。アナログで仕組みは単純だったが、興奮の度合いはすさまじく、まるでスタジアムに響きわたる歓声が聞こえてくるようだった。

 中でも野球盤は群を抜いていた。平べったいダンボールの箱に入っていたゲーム盤の中には、野球選手に対する憧れや夢が詰まっていた。

 エポック社の(初代)野球版は1958(昭和33)年に誕生した。マウンドには銀の球を弾く簡単な小さな箱があり、スコアボードの裏でレバーを引き、放すと投球開始だ。バネの反動を利用したバットは、手で押さえてタイミングを見計らい弾く方式だ。グラウンドには、それぞれのポジションにくぼみがあって、そこに入ればアウト、抜けていってヒットのくぼみに入ると表示された2塁打や3塁打となる。

エポック社のパーフェクト野球盤B型(1982年)。B型にはスイッチヒッター機能が省略されている

 最初は、直球しか投げられなかったが、同社が世に送り出した変化球も投げられる2号機「A-2型」(59年)は、ゲームとしての面白さをぐんと上げた。バッターとピッチャーの駆け引きができるようになったのである。仕組みは簡単で、盤の下に磁石を装備させて、コントローラーでカーブやシュートが投げられるようになった。

 次に衝撃的だった(野球盤における最大の発明と言ってもいいかもしれない)のは、「消える魔球」の登場である。「オールスター野球盤BM型魔球付き」という名称で72年に発売された。人気マンガ「巨人の星」の影響だったことは一目瞭然だったが、テレビのコマーシャルで、この存在を知った時、「一体どうやって球を消すのだろう?」と不思議でしょうがなかった。タネを明かせば、それほど難しい話ではなく、バッターボックスのすぐ手前に開閉式の板がついていて、板が開くと球がバッドの下を通り空振り、振らなければボールになった。これによって、駆け引きはより複雑になり、面白さがぐんと増した。スポーツは、体を鍛えるのはもちろんだが、そこには心理戦があり頭を使わなくてはならないことを、子どもたちは無意識のうちに学んだはずである。